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英国ヴィクトリア女王からハワイのリリウオカラニ女王へ、そしてハワイの人々に受け継がれたハワイアンジュエリーの歴史

ハワイを訪れると、多くの女性が、ハワイの伝統的なモチーフや文字が刻まれた、素敵なブレスレットを身につけていることに、気が付かれるのではないでしょうか?
それがハワイアンジュエリー、正式には「Hawaiian heirloom jewelry」と言います。

”Heirloom(エアルーム)”とは、”家宝”のこと。ハワイアンジュエリーとは、ハワイで親から子へと、大切に受け継がれていくジュエリーなのです。

今回は、ハワイアンジュエリーの歴史をひも解いてみたいと思います。

 
ハワイアンジュエリーの源流

ハワイアンジュエリーの源流をたどると、英国のヴィクトリア女王(1819~1901)に行きつきます。
ヴィクトリア女王の時代、英国は政治経済だけでなく、文化的にも栄華を極め、建築やインテリア、ファッションで、”ヴィクトリアン・スタイル”と呼ばれる華やかでスタイリッシュな様式が流行しました。

 

戴冠式のヴィクトリア女王(出展:Wikimedia Commons)

 

この時代、”センティメンタル・ジュエリー(Sentimental Jewellery)”と呼ばれる、愛や想い出の言葉を刻んだジュエリーが英国で流行していました。
ヴィクトリア女王は、国賓など大切な人々に”センティメンタル・ジュエリー”を贈ることを習慣としていたそうです。

ヴィクトリア女王は、1861年、最愛の夫プリンス・アルバートを失ったとき、あまりの悲しさに、10年以上にわたって喪に服しました。生涯喪服を着ていたとも言われています。
そのとき身につけていたのが、喪服に似合う黒いジュエリーでした。

”ヴィクトリアン・モーニング・ジュエリー(Victorian Mourning Jewellery)”と呼ばれ、まずは宮廷の人々に、その後大衆にも広がっていき、流行ファッションとなりました。
デザインは、イギリスの喪中用のデザイン「スクロール模様」で、黒いエナメルを使用していました。これが、後のハワイアンジュエリーのデザインの原型になったと言われています。

※Jewelryは米国式表記、Jewelleryは英国式表記です。

 
最初のハワイアンジュエリー

1862年、ハワイで、”Hoomanao Mau(ホオマナオ・マウ)”と刻まれたブレスレットが作られました。
王女時代のリリウオカラニのために作られたブレスレットで、リリウオカラニは、これを生涯身につけていたのだとか。

意味は、”永遠に続く想い出”
祈りにも似たこの言葉は、リリウオカラニが、プリンス・アルバートの死を悼み、ヴィクトリア女王に寄りそう心を表現したとも言われますが、その後君主として正しい判断を行う指針となり、苦しい立場におかれたときには、心の支えにもなったと言われています。

これが最初のハワイアンジュエリーとなったのですね。

 

リリウオカラニ女王

 

ハワイアンジュエリーの流行

時は移り、1893年のこと。
リリウオカラニ女王は、”Aloha Oe(アロハ・オエ)”と刻んだブレスレットを、英語学校の教師ゾーイ・アトキンソンに、舞踏会のお手伝いのお礼としてプレゼントしました。
その後間もなく政変が起き、リリウオカラニ女王は逮捕・監禁され、ハワイ王国は終焉を迎えます。そのタイミングでの”アロハ・オエ”・・・

”Aloha Oe(アロハ・オエ)”とは、”あなたに愛を”といった意味ですが、”さようなら”という意味もあります。

この何とも言えない偶然は、アトキンソンの学校でも大騒ぎになったことでしょうね。生徒たちは、愛する女王の身を案じ、またそのブレスレットが素敵だったこともあって、先生と同じようなブレスレットを身につけたい!と言い出しました。これが流行のきっかけとなったのだとか。

その後、大切な言葉を刻んだブレスレットは、誕生日、卒業式、結婚式といった、人生の節目に、親から娘にプレゼントされるようになっていきました。

 
ハワイアンジュエリーには、そんな歴史や、愛する人への想いが込められていたのですね!
私たちも、歴史や文化、そして人を大切にする心、きちんと受け継いでいきたいものです。

 

 

※リリウオカラニ女王については、こちらの記事もご覧くださいね。


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情報源: リリウオカラニ女王~古代ハワイの民族音楽と現代のハワイアン・ミュージックの橋渡しをしたのは国家元首! | MUSBIC/ムスビック

 
※リリウオカラニ女王がヴィクトリア女王にプレゼントした歌、「クイーンズ・ジュビリー」は、こちらの記事もご覧くださいね。


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情報源: 「クイーンズ・ジュビリー(Queen’s Jubilee)」リリウオカラニ女王が大英帝国ヴィクトリア女王に捧げた歌の贈り物 | M

 
※リリウオカラニ女王の作品、「アロハ・オエ」は、こちらの記事もご覧くださいね。


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情報源: 愛する人との別れの悲しみ、そして再会の願いを込めて、世界に広まった「Aloha `Oe(アロハ・オエ)」 | MUSBIC/ムスビック

 

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