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「’Ainahau(アイナハウ)」激動の19世紀を生きたリケリケ王女が、美しいマイホームを愛おしんだハワイアン・ソング

19世紀、激動のハワイ王国時代、オアフ島ワイキキに、まるで別世界のように美しい場所がありました。それが”’Ainahau(アイナハウ)”。リケリケ王女が作られた、ハワイアン・ソングのタイトルにもなっている、ハワイ王家の方たちのマイホームです。

 
世界が大きく動いた19世紀・・・
時代の波はハワイを巻き込み、大きなうねりとなっていきました。
1795年にカメハメハ大王がハワイを統一し、ハワイ王国が誕生してから、1898年にアメリカ合衆国に併合されるまでの約100年間は、ハワイで暮らす人々にとっても、まさに激動の時代でした。
古代ポリネシア人の「大いなる旅」でハワイにたどり着き、この地で自然と共に生きてきた人々は、欧米人と出会い、日本を含む多くの地域から移民を受け入れ、今のハワイの姿に変容していったのです。

この時代、ハワイ王国の中に、類いまれな音楽の才能に恵まれた人たちがいらっしゃいます。
ご自身が才能に恵まれただけでなく、ハワイの音楽、ハワイの文化を保護し、その後の発展に大きく寄与した方々です。
「Na Lani ’Eha(天国の4人)」と呼ばれ、今もハワイの人々から敬愛されている、カラカウア王、リリウオカラニ女王、リケリケ王女、レレイオホク王子の4名です。

今回ご紹介いたしますのは、リケリケ王女(1851~1887)。
本名はミリアム・カピリ・ケカウルオヒ・リケリケといいます。カラカウア王、リリウオカラニ女王の妹で、カイウラニ王女のお母様です。
 

リケリケ王女(出展:Wikimedia Commons)

 
リケリケ王女のご主人は、アーチボルド・クレッグホーンというスコットランド人のビジネスマンです。お二人がご結婚した当時、リケリケ王女は19歳、クレッグホーン氏は35歳。生まれ育った国も、年齢も離れたお二人の結婚生活は、穏やかとは言えなかったようです。それでも1875年には、愛娘のカイウラニ王女が誕生。その後しばらくして、ワイキキの一角にヴィクトリアン調の2階建ての家を建て、家族で移り住みました。

この地を”’Ainahau(アイナハウ)”と名付けたのがリケリケ王女です。
’Ainahau(アイナハウ)とは、ハウツリーの土地、涼しい土地、といった意味のハワイ語です。
クレッグホーン氏は、園芸に造詣が深く、敷地には、ヤシ、マンゴー、シナモン、ハイビスカス、バニアンツリーなど、多くの植物を植えたそうです。池には水仙がたくさん咲き、庭にはカイウラニ王女が大好きなクジャクもいました。アイナハウの庭園は、ハワイで最も美しい庭園と言われたそうです。

 
リケリケ王女が残したハワイアン・ソング「’Ainahau(アイナハウ)」

リケリケ王女が作詞作曲した「’Ainahau(アイナハウ)」は、ご家族にとっての大切なマイホーム”’Ainahau(アイナハウ)”を描いた、今も歌い継がれているハワイアン・ソングです。
「バラの香りに満ちた、まるで天国のように美しいマイホーム」と歌うこの歌、フラダンサーたちにも大人気です!

ご紹介する動画で歌っているのは、クウイポ・クムカヒさん。世界的に活躍していらっしゃるハワイアン・ミュージックのシンガーであり、スラック・キー・ギター・プレイヤーでもある方です。
Voice with a tear(涙を伴う声)と讃えられる、深く心に染み入る歌声をお楽しみくださいね。

 

 

”’Ainahau(アイナハウ)”には、世界中から大勢の客人が訪れていて、いつも賑わっていたそうです。リケリケ王女は、いつも優雅に、そして親切に、客人たちをもてなしていたと言われています。

 

「’Ainahau(アイナハウ)」は、クウイポ・クムカヒさんが2007年に発表したアルバム「Na Lani ’Eha」に収録されています。
このアルバムは、ハワイのグラミー賞と言われるナ・ホク・ハノハノ・アワードで、2008年度のアルバム・オブ・ザ・イヤーに輝いています。

 

 

※現在、”’Ainahau(アイナハウ)”の跡地には、シェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテルが建っています。

※ワイキキのショッピング&グルメエリア、インターナショナルマーケットプレイスのシンボル的存在、バニヤンツリーは、”’Ainahau(アイナハウ)”の名残りとも言われています。

 
※”Na Lani ’Eha(天国の4人)”については、こちらの記事もご覧くださいね。

古代ハワイの音楽と、現代ハワイの音楽。 フラダンスのカヒコ(古典フラ)とアウアナ(近代フラ)に象徴されるように、ハワイの音楽は、19世紀を境に、大きな隔たりがあります。 古典的な民族音楽から、世界中で愛されるハワイアン・ミュージックへの変化は、どうして起きたのでしょう?

情報源: リリウオカラニ女王~古代ハワイの民族音楽と現代のハワイアン・ミュージックの橋渡しをしたのは国家元首! | MUSBIC ムスビック
 

※リケリケ王女の愛娘、カイウラニ王女については、こちらの記事もご覧くださいね。

ハワイ王国最後の王女、プリンセス・カイウラニ ハワイ王国が滅亡し、王位に就くことなく23歳という若さで亡くなったことから、”悲劇の王女”と呼ばれることの多いプリンセス・カイウラニ(1875-1899)、実は、ハワイ王国を守るために勇敢に戦った”戦士”だったと言われています。

情報源: 「Kai’iulani I Ainahau」美しく勇敢な”戦士”プリンセス・カイウラニを讃えるカヒコ(古典フラ) | MUSBIC ムスビック

 

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