生誕200年記念~クララ・シューマン特集②~ピアノを愛し、ピアノに愛された女性クララ

生誕200周年を機に、19世紀に活躍した女性として、あらためて注目を集めているクララ・シューマン

 
天才作曲家ロベルト・シューマンの妻で、8人の子どもたちの母、偉大なピアニストであり作曲家という、さまざまな”顔”を持つクララ。
中でも、19世紀を代表する女性ピアニストといわれるほど、クララ・シューマンのピアノは、高く評価されています。

クララ・シューマンをご紹介するシリーズ、今回は、ピアノに焦点をあててご紹介させていただきます。

 

1830年頃のクララ(出展:Wikimedia Commons)

 

クララ・シューマンとピアノの出会い

 
クララとピアノの出会いは、ピアノ教師だった父親、フリードリヒ・ヴィーク(1785-1873)によるものです。
クララが生まれてすぐ、クララの両親は不仲となり、離婚してしまいます。両親の不和の影響か、クララは幼い頃、全く言葉を出せない子どもだったようです。その代わりなのか、クララは音楽を”もうひとつの言語”として受け入れ、自分の心を自由に表現できる手段として、使いこなす能力を身につけていきました。
娘の持つ、たぐいまれな才能に気づいた父フリードリヒは、クララにピアノの英才教育を施すことになります。

 

クララの父、フリードリヒ・ヴィーク、45歳頃(出展:Wikimedia Commons)

 

父フリードリヒによる素晴らしい教育

 
クララが5歳になると、フリードリヒは、クララへの本格的な音楽の教育をスタートしました。
フリードリヒの教育は、単に演奏のテクニックを磨くだけではありませんでした。もちろん、テクニックも大切でしたが、音の響きや、音の美しさに対する感覚を磨くことも重視しました。
演奏は、作曲家の意図や想いを、できる限り忠実に再現するように、と教えます。
後にクララは、ベートーベンの研究者としても、高く評価されることになるのですが、それも、父親の教育の賜物なのですね。

また、フリードリヒは、世界的な演奏活動をするためには、語学が不可欠と考え、クララに英語とフランス語を学ばせ、長い旅暮らしを想定して、健康にも気を配りました。
体力をつけるため、クララは1日に数時間のウォーキングを日課としていましたが、歩くスピードは、大人と変わらなかったのだとか。

その他にも、生活の糧を稼げるようにと、クララが10歳のときから、弟にレッスンをさせて、”教える”ことを身につけさせたり、自宅でプライベートな演奏会を催して、人脈づくりをしたり・・・

フリードリヒの、幅広く、奥深い教育によって、クララは、真の天才ピアニストとして、花開くこととなったのです。

 

クララの生まれ故郷、ライプツィヒの旧市庁舎(Photo by Appaloosa [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)]

 

ご自分が何かに秀でたい、またはお子さんやご家族が秀でてほしいと思ったとき、テクニックを磨くことも、もちろん大切ですが、それだけでなく、深い愛情と理解をもって、広く、深く学ぶこと、見習いたいですね!

 

☆この秋、クララ・シューマンをこよなく愛するみなさまによって、クララ生誕200周年記念コンサートが行われます!

入場無料。予約制・先着120名様。
クララ・シューマンの音楽に触れてみたい方、是非お出かけくださいね。

詳しくは、こちらから。

 
☆『クララ・シューマン生誕200周年記念コンサート』は、2019年9月15日に終了いたしました。
ご参加いただきましたみなさまには、心よりお礼申し上げます。

 

本番に備えて練習中です!

 

こちらは、クララ・シューマンのピアノ曲集のダイジェスト版の映像です。ゆったりとお楽しみくださいね!
 

 

こちらのCDは、クララ・シューマンのピアノ曲全てを収めています。

 

☆クララ・シューマンをご紹介しております、こちらの記事もご覧くださいね!


天才作曲家の妻で、8人の子どもたちの母、偉大なピアニストであり作曲家・・・ クララ・ヨゼフィーネ・ヴィーク・シューマン(1819.9.13~1896.5.20)は、実にいろいろな”顔”を持った女性です。いったい全体、素顔のクララはどんな女性だったのでしょう?

情報源: 生誕200年記念~クララ・シューマン特集~クララ・シューマンをご存知ですか? | MUSBIC/ムスビック

 

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