生誕200年記念~クララ・シューマン特集⑤~ロベルト・シューマンからクララへ「『献呈』~明日僕の花嫁になる、君に捧げる愛の歌」
今年、生誕200周年を迎えるクララ・ヨゼフィーネ・ヴィーク・シューマン(1819.9.13~1896.5.20)
天才作曲家ロベルト・シューマンの妻にして、世界初のプロの女性ピアニストで作曲家、クララ・シューマンをご紹介しておりますシリーズ、いよいよ今回は、クララ最愛の夫、ロベルト・シューマンについてご紹介させていただきます。
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810.6.8~1856.7.29)は、ドイツ東部の都市、ツヴィッカウの裕福な家庭に生まれました。
46年という短い生涯で、幅広い分野にわたって数多くの作品を残したロベルト。特にピアノ曲と歌曲で高く評価され、ドイツ・ロマン派を代表する作曲家の一人と言われています。
ロベルトは、幼いころから、ピアノの演奏や作曲に才能を発揮しました。父親アウグストはとても喜び、高価なピアノをはじめ、必要な道具を何でも買い与えて、ロベルトの音楽活動を支援していました。
ロベルトが16歳の時、音楽の後押しをしてくれた父アウグストが死去。その後、母ヨハンナの意向もあり、ロベルトはライプツィヒ大学に進学して、法学を志します。
しかし、ロベルトは音楽への情熱を押さえきれず、ピアノ教師フリードリヒ・ヴィークに弟子入りして、本格的にピアノを学ぶことに。
ここでロベルトは、後に妻となる、クララと出会います。このとき、ロベルト19歳、クララはわずか9歳でした。
2人は、はじめのうちは、兄と妹のような関係だったようです。次第にお互いを意識するようになり、愛を育んでいきました。
ロベルトとクララの交際は、クララの父ヴィークに猛反対され、激しい妨害に遭いました。ヴィークとしては、天才ピアニストである娘は、人々の喝采を浴びるべき存在で、主婦になるために育てたのではない、というところでしょうか。
ロベルトとクララは、結婚の許可をとるために訴訟まで起こし、1840年、ようやく結婚にたどりつきました。ロベルト29歳、クララ20歳のときです。
結婚式の前日、ロベルトはクララに、歌曲をプレゼントしました。
ロベルトの歌曲集『ミルテの花』の第1曲目、その名も「献呈(君に捧ぐ)」、クララに捧げた、美しく情熱的な愛の歌です。
「献呈(君に捧ぐ)」を贈られたクララが、自らピアノ曲に編曲したバージョンを、ご紹介させていただきます。
この曲は、2人の友人、ピアニストで作曲家のフランツ・リストによる編曲が有名で、今日演奏されるのは、リストの編曲バージョンが多いのですが、クララの編曲は、とてもシンプルで心に染み入ってきます。
ゆったりとお楽しみくださいね。
繊細な心の持ち主だったロベルト。いわゆる世間の荒波は、彼には厳しすぎたのかもしれません。ロベルトは、しだいに心身のバランスを崩し、精神を病んでいきました。
そんなロベルトを支え、子育てをしながらピアニストとして活躍したクララ。
クララにとって、「献呈(君に捧ぐ)」は、間違いなく心の支えだったことと思います。つらいときや悲しいとき、クララは、この曲を弾いて、自らを励ましていた気がいたします。
クララ・シューマン生誕200周年を迎えた今年、クララ・シューマンをこよなく愛するみなさまによって、クララ生誕200周年記念コンサートが行われます!
入場無料。予約制・先着120名様。
クララ・シューマンの音楽に触れてみたい方、是非お出かけくださいね。
詳しくは、こちらから。
☆『クララ・シューマン生誕200周年記念コンサート』は、2019年9月15日に終了いたしました。
ご参加いただきましたみなさまには、心よりお礼申し上げます。
ロベルトのライバル登場!?”若き鷲”ヨハネス・ブラームスをご紹介いたしました、こちらの記事もご覧くださいね。
ヨハネス・ブラームス(1833~1897) ドイツ北部ハンブルク出身のブラームスは「音楽の父」J.S.バッハ、「楽聖」ベートーヴェンと共に、ドイツ音楽の「三大B」と称えられる、19世紀ドイツを代表する作曲家の一人です。 生誕200周年を記念して、クララ・シューマンをご紹介するこのシリーズ、今回は、クララと特別な信頼関係で結ばれていた生涯の友、ヨハネス・ブラームスについてご紹介いたします。
情報源: 生誕200年記念~クララ・シューマン特集④~シューマン夫妻に幸福をもたらし、シューマン夫妻によって、一層の輝きを手にしたヨハネス・ブラームス
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