百人一首かるたの歌人エピソード第48番・源重光~失恋だって、男らしくドラマチックにいこうぜ!?
風をいたみ 岩うつ浪の おのれのみ くだけてものを 思ふ頃かな
”畳の上の格闘技”、競技かるたは、一瞬を争う緊迫した競技ですが、使用される小倉百人一首の歌はとても抒情的。なんと半分近い43首が恋の歌です。中には男性が詠んだ失恋の歌も少なくありません。今回ご紹介いたします、第48番・源重光の歌も、そのひとつです。
男性の失恋というと、女々しく聞こえがちですが、岩にあたって砕ける波のようだ、なんて言われたら、俄然ドラマチックに聞こえちゃいますね。まさに玉砕と言いましょうか?(笑)
全国に歌碑が残る源重之
源重之は、平安時代中期の方で、清和天皇のひ孫になります。後に鎌倉幕府を開くことになる、源頼朝を輩出する清和源氏のおひとりです。源重之は和歌の名手で、三十六歌仙のひとりでもあります。
源重之は、相模、信濃、日向、肥後、筑前など地方官を歴任し、旅の歌を多く残しました。その影響で、全国各地に重之の歌碑が残っています。
源重之は、第51番・藤原実方(さねかた)が陸奥守に任ぜられたとき、共に陸奥に下りました。
一説によると、重之は、藤原実方が藤原行成と口論の結果、陸奥に配流されたことに同情して、実方に随行したのだとか。実方の最期を看取った重之は、実方の死後も陸奥に留まり、西暦1000年頃に60歳あまりで死去したそうです。
風が激しくて、岩に打ち当たる波が、岩はびくともしないのに自分だけ砕け散るように、私だけが、心も砕けんばかりに思い悩んでいるこの頃です
思いを伝えても心を動かしてくれない女性を岩にたとえ、自分をその岩にあたって砕ける波にたとえて、想いの届かない苦しさを描いています。
「くだけてものを思ふ」というのは、平安時代の恋歌によく登場する表現で、いわば”ありきたりの言い回し”なのですが、上の句で、岩に波が打ち当たって砕けている風景を描くことで、ダイナミックな歌に仕上げたあたり、まさに歌の名手の面目躍如ですね。
藤原実方に同情して陸奥国まで同行するほど、情に厚かった源重之は、多くの歌人と親交がありました。歌人たちとの歌のやり取りも、1000年の時を超えて数多く残されています。
☆こちらの記事では、源重之が同情した(?)藤原実方をご紹介しております。なんとこちらも男性の恋の歌です!
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さし知らじな 燃ゆる思ひを 和歌を贈って愛を伝え合った平安時代。”畳の上の格闘技”、競技かるたに使われる小倉百人一首には、男性が詠んだ恋の歌もたくさん登場します。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第51番藤原実方朝臣~燃えるような恋は歌で始まる!? ⋆ MUSBIC/ムスビック
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