百人一首かるたの歌人エピソード第50番藤原義孝~ずっと一緒にいたい!恋の願いは1000年の時を超えて
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
「好きな人のためなら死んでもいい!」といいながら、「好きな人と一緒にいたいから死ぬなんてイヤ!」という矛盾した想い。これこそ恋のなせる業ですね。どうやら今も1000年前も変わらないようです。
”畳の上の格闘技”、競技かるたで使われる小倉百人一首には、恋の歌がいくつも登場します。今回ご紹介いたします、第50番藤原義孝の歌もそのひとつです。
若くして世を去った美男子、藤原義孝(954~974)
藤原義孝は、平安時代中期の歌人です。第45番謙徳公(摂政太政大臣・藤原伊尹(これただ))の息子で、息子には、三蹟※のひとりである藤原行成がいます。
※三蹟(さんせき)とは、平安時代中期を代表する書家で、小野道風、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)の3人をいいます。
藤原義孝は、「これほどの人は二度と現れないだろう」と言われるほどの美男子で、見た目だけでなく人柄も良く、また仏教への信仰心の篤い方だったと言われています。
しかし、佳人薄命とはこのこと・・・藤原義孝は京の都に流行した疱瘡(天然痘)にかかり、兄と同じ日に21歳の若さで亡くなってしまいました。
あなたのためなら、死んでも惜しくないと思っていましたが、あなたと逢瀬を遂げた今では、できるだけ長くありたいと思うようになりました
恋した女性へ想いが通じ、恋が実った喜びとともに、生きている喜びに気づく歌ですが、作者が若くして亡くなっているので、逆に命の儚さを感じさせられます。
それでも、義孝の遺した歌は1000年の時を超えて、私たちに恋の素晴らしさを伝えてくれます。「長くもがな」という義孝の望みは、かなったとも言えますね。
ヤマ勘で勝負をかける大山札!
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな(第50番藤原義孝)
君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ(第15番光孝天皇)
競技かるたにおいて、この2つの歌は、最初の五文字が同じで、六文字目でやっと違いがわかる「六字決まり」の札とされています。一瞬を争う激しい戦いの中、6文字も待っていられず、ヤマをかけて札を取りに行った選手が多かったことから、「大山札」とも言われます。
1000年の時を超えた恋の願いが、激しい戦いを呼び起こすことになるとは、作者は予想もしなかったでしょうね。
☆こちらの記事は、六字決まりの相方・光孝天皇の「君がため」をご紹介しております。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ”畳の上の格闘技”、競技かるたに使用される小倉百人一首から、今回ご紹介いたしますのは、早春の風景が目に浮かんできて、ほっこり優しい気持ちになれる歌です。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第15番~激動の時代に、優しく繊細な心で人々に愛された光孝天皇 ⋆ MUSBIC/ムスビック
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