百人一首かるたの歌人エピソード第54番儀同三司母~共に過ごせるこの瞬間の幸せが何より大切
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
平安時代の結婚は、男性が女性の元に通う”通い婚”が一般的でした。愛する人と共に過ごせる時は限られていて、次はいつ会えるかわからない・・・一緒に過ごせる日々は、女性にとって、かけがえのない宝物のような時間だったはず。そんな想いが、現代にも通じる切ない恋の歌を数多く誕生させたのでしょうね。
”畳の上の格闘技”、競技かるたに使われる百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第54番儀同三司母(ぎどうさんしのはは) をご紹介いたします。
才色兼備な女性・儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
儀同三司母(ぎどうさんしのはは) の本名は高階貴子といいます。中関白藤原道隆の妻で、藤原伊周や一条天皇の中宮・定子を含む、三男四女を生みました。儀同三司とは藤原伊周の官職名です。
貴子の夫・藤原道隆は、父兼家の死を受けて関白に昇進すると、急速に一族を出世させ、栄華を欲しいままにしましたが、42歳の若さで病死。その後、嫡男・伊周とその弟・隆家は、叔父である藤原道長との政権抗争に敗れ、家族は一気に没落してしまいます。貴子は、失意のまま亡くなってしまいました。まだ40代だったと言われています。
いつまでも忘れないと言う言葉が、遠い将来まで変わらないというのは、難しいことでしょうから、その言葉を聞いた今日を限りに、この命が尽きてしまえばいいと思うのです
この歌は、藤原道隆が夫として貴子のもとに通い始めた頃に、詠まれました。
この時代の歌としてはめずらしく、技巧をこらさず、素直に想いを描いた歌で。後世の歌人たちから、本当に優しい歌だと、高く評価されています。
新婚ほやほやで、毎晩のように夫が通っていた時期に、「幸せな今のうちに、このまま死んでしまいたい。」と表現するあたり、その後の貴子の悲しい運命を予感させるような、儚さが伝わってきますね。
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る 「通い婚」だった平安時代、女性はひたすら待つだけ、しかも連絡方法は手紙だけで、メールも電話もない・・・待っている女性の気持ちは、想像を絶する寂しさと心細さだったことでしょうね。一方で、このどうしようもない寂しさや不自由さは、和歌や文学という、素晴らしい文化を花開かせることになりました。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第53番右大将道綱母~待ってばかりだと、イヤミのひとつも言いたくなるのが女心 ⋆ MUSBIC/ムスビック
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