百人一首かるたの歌人エピソード第53番右大将道綱母~待ってばかりだと、イヤミのひとつも言いたくなるのが女心
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
「通い婚」だった平安時代、女性はひたすら待つだけ、しかも連絡方法は手紙だけで、メールも電話もない・・・
待っている女性の気持ちは、想像を絶する寂しさと心細さだったことでしょうね。一方で、このどうしようもない寂しさや不自由さは、和歌や文学という、素晴らしい文化を花開かせることになりました。中には、風流な和歌を通して痛烈なイヤミも!
畳の上の格闘技、競技かるたで使われる百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第53番右大将道綱母の作品をご紹介いたします。
謎に包まれた美女・右大将道綱母
歌の作者、右大将道綱母とは、藤原道長の父、藤原兼家の第二夫人のこと。平安時代を代表する女流日記文学のひとつ「蜻蛉日記」の作者でもあります。1000年の時を超えて作品は残っているのに、この時代の女性に多く見られるように、本名は残されていません。
※2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原寧子(やすこ)という名で、財前直見さんが演じていらっしゃいますが、名前はフィクションです。
右大将道綱母は、「本朝三美人」に選ばれるほどの美人でした。でも、どうやら兼家との生活は、あまり幸せではなかったようです。何しろ藤原兼家には何人もの妻がいて、なかなか会いにきてくれませんでした。
「蜻蛉日記」は、そんな浮気性の藤原兼家との結婚生活や、他の妻たちとのあんなことやこんなこと、息子藤原道綱の成長、歌人との交流など、954年から974年の間の出来事が記されています。
あなたの来ない夜を、嘆きながらひとりで明かす時間がどんなに長いものか、門を早く開けてとおっしゃるあなたにはご理解できないでしょうね
兼家が久しぶりに会いに来た時に、嫉妬心いっぱいに詠みあげたのがこの歌。
「蜻蛉日記」には、盛りを過ぎた菊一輪を添えて、兼家に贈ったと書き残しています。それにしても、浮気性の夫への恨み節の歌を、枯れかかった菊の花とともに手渡すとは・・・!ただ待っているだけではない、知性の高さとイヤミのセンスには、思わず感心してしまいますね!
☆こちらの記事は、小倉百人一首で随一の切なくて官能的な恋の歌をご紹介しております。
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ通い婚が一般的だった平安時代、後朝(きぬぎぬ)~一夜を共に過ごした翌朝~は、次に逢える夜を待つしかなかった女性にとって、切ない時間だったことでしょうね。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第80番待賢門院堀河~切なくて官能的な歌はリアル?フィクション? ⋆ MUSBIC/ムスビック
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