持統天皇 百人一首 畳の上の格闘技 競技かるた

百人一首かるたの歌人エピソード第2番~持統天皇~いにしえの女性天皇が描いたのは、心地よい風が吹き抜ける初夏の風景

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

2019年5月1日、新しい時代「令和」がスタートしました。

”畳の上の格闘技”、競技かるたに使用される小倉百人一首には、8名の天皇の歌が取り上げられています。8名の中で、女性天皇はおひとりだけ。
今回は、小倉百人一首で唯一の女性天皇でいらっしゃる、持統天皇の歌をご紹介させていただきます。

初夏の爽やかな風が吹き抜けるような一首です。
 

持統天皇(出展:Wikimedia Commons)

 

いつの間にか春が過ぎて、夏がやってきたようですね。夏になると、真っ白な衣を干すといいます。あの天の香具山に白い衣がたなびいています。

 

才女の誉れ高い持統天皇

作者の持統天皇(645~702)は、天智天皇の第二息女で、大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)の皇后だった方です。夫の死後、嫡男の草壁皇子にも先立たれたため、天皇として即位しました。

かつて日本には、8名10代の女性天皇がいらっしゃいました。
そのうち6名8代が、6世紀末から8世紀(飛鳥時代から奈良時代)に集中しています。
持統天皇が他の女性天皇と決定的に異なるのは、ご自身で政策を推進なさったことです。
持統天皇は、とても有能な統治者であり、大変な才女だったと伝えられています。

 

天の香久山 持統天皇 小倉百人一首

持統天皇ゆかりの藤原京跡から望む天の香具山

 

春すぎて 夏来るらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山

この歌には、二種類の表現が伝わっています。こちらは、日本最古の和歌集「万葉集」に収められたバージョンです。

「衣干したり」は「衣を干している」という意味で、目の前の風景を描写しています。
持統天皇が生きた時代には、夏になると白い着物を干す習慣があったようです。
爽やかな風にのって、白い衣がたなびいている風景を眺めながら、持統天皇は夏の訪れを感じたのでしょう。

小倉百人一首の撰者、藤原定家の時代になると、夏に白い衣を干すという習慣は、なくなってしまいました。
「衣ほすてふ」とは、「衣干すといふ」がつまった表現で、自身の目で見た風景ではなく、伝え聞いた情景を歌っています。

実際には見ることのできない風景を心に浮かべて、万葉の昔に思いをはせる、というように表現が変わっていたのですね。

 

天の香具山とは?

畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)とともに、大和三山と呼ばれる天の香具山は、奈良県橿原市にあります。標高は152.4メートル。山というより小高い丘という感じです。「香久山」と表記されることもあります。

天の香具山は、持統天皇が造営させた都、藤原京の東に位置しています。太陽信仰の地であったとも言われ、大和三山の中で、最も神聖な山と考えられていました。
「天の」という表現は、人々が神聖な山と考えていた証だったのです。

 
✩こちらの記事は、持統天皇の父君、天智天皇の歌をご紹介しております。


小倉百人一首の、栄光ある”第一番”を飾る天智天皇の歌は、農村で働いている人々 の情景を描いた内容なのですが・・・ え?天皇が農作業を? 何となくしっくりこなくて、不思議な感じがしましたので、調べてみたところ、興味深いことがわかってきました。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード~ 大化の改新で有名な天智天皇は「働き方改革」の元祖だった!

 

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