百人一首かるたの歌人エピソード~激動の時代に、優しく繊細な心で人々に愛された光孝天皇

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ

”畳の上の格闘技”、競技かるたに使用される小倉百人一首から、今回ご紹介いたしますのは、早春の風景が目に浮かんできて、ほっこり優しい気持ちになれる歌です。

作者の光孝天皇(830-887)は、温和な人柄や教養の高さ、さらにしとやかで優美な容姿から、人々にとても愛されていた天皇でした。
光孝天皇は、紫式部の長編小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルの一人とも言われています。

 

江戸時代に描かれた光孝天皇(出展:Wikimedia Commons)

 

光孝天皇の生きた時代

平安時代というのは、その名前とは裏腹に、政治的な争いが頻繁に起きた、激動の時代でした。
政治の中心は、天皇から貴族へ、そして武士へと移り変わっていきました。天皇の座を争って、多くの内乱が起きた時代でもあります。

光孝天皇が即位なさったのは、なんと54歳の時。
平安時代の平均寿命は、男性33歳、女性27歳といわれていますが、平均寿命をはるかに超えた、ご高齢での即位です。

光孝天皇の前は、陽成天皇。若くして即位しましたが、数々の悪行のため、退位させられてしまいました。
ご高齢にもかかわらず光孝天皇が選ばれたのは、陽成天皇を無理やり退位させたものの、後任の天皇となるべき若者の中に、適任者がいなかったためのようです。

 

光孝天皇は、温和な人柄で教養も高く、とても人望の厚い方でした。不遇だった時期を忘れないようにと、天皇になられてからも、質素な暮らしぶりだったそうです。
和歌や和琴などにも秀でた方で、政変が続いて宮中が荒れていた当時、宮中行事の再興や寺院の建設に努めました。
しかし志かなわず、光孝天皇は57歳で崩御。わずか3年の在位期間でした。

 

 

あなたに差し上げるために、春の野原に出かけて、食べると長生きできるという、春の若菜を摘んできました。摘んでいるとき、袖にはしんしんと雪が降りかかってきました。

 

百人一首に選ばれた歌は、光孝天皇が皇子だった頃の作品で、大切な方に若菜を差し上げたときに添えられた歌と言われています。

若菜とは、春に芽を出す食用の若草の総称。食べると長生きすると考えられていました。
1月7日に健康や長寿を願って「七草がゆ」をいただく習慣は、早春の若菜摘みが起源なのだとか。

大切な人のために何かをするって、とっても素敵なことですよね。時代を経ても、人への思いやりの素晴らしさは、決して変わらないものなのですね。

 

※”アブナイ天皇”こと陽成天皇は、退位させられた後、光孝天皇の娘婿となりました。そんないきさつをご紹介しております、こちらの記事もご覧くださいね。
 

筑波嶺(つくばね)の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
“畳の上の格闘技”、競技かるたで使用される小倉百人一首は、100首中なんと43首が恋の歌! 中でも、今回ご紹介いたします歌は、”アブナイ天皇”として悪名高い陽成院が、後に妃となる政敵の娘、綏子(すいし)内親王に捧げた、とってもピュアな恋の歌です。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード~”アブナイ天皇”のピュアなラブレター、陽成院のお話

 

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