【競技かるた入門!】超初心者だけど競技かるたを楽しめるようになりたーい!!
”競技かるた”をご存知ですか?
小倉百人一首を使用して、1対1で勝負を争う競技かるた。
お正月にみんなで遊んだ、”かるた遊び”の延長線上にあるもの? 和装で畳のお部屋で楽しむ、”和のたしなみ”みたいなもの?
・・・なんて思いきや、とっても激しいスポーツなんです!
集中力、瞬発力、精神力、記憶力が必要な上、札を払うときの激しさや、1対1の勝負ならではのかけひきもあって、「畳の上の格闘技」とも言われる競技かるた。
ムスビックでは、競技かるたの魅力をご紹介していこうと思っております。
今回は、競技かるたに使用される小倉百人一首や、かるた遊びの歴史を、かんたんにご紹介させていただきますね。
百人一首とは
100人の歌人を選定し、1人につき1つの歌を紹介する歌集を百人一首といいます。
※”首(しゅ)”というのは、歌を数える単位で、中国から伝わったそうです。
実はいろいろな百人一首があるのですが、藤原定家が選定した”小倉百人一首”が最も有名で、今では百人一首と言えば、小倉百人一首を示すようになりました。
小倉百人一首ってなに?
鎌倉時代に、歌人・藤原定家が鎌倉幕府の御家人・宇都宮頼綱に依頼され、優れた歌を集めて、京都の小倉山にあった、宇都宮頼綱の山荘のふすまを飾る色紙を作成しました。
当初は”小倉色紙”などと呼ばれていたようですが、後に”小倉百人一首”という名前が定着しました。
かるた遊びについて
小倉百人一首は、今では歌集としてよりも、かるた遊びをするための、”歌かるた”として知られています。
かるた遊びの原型は、平安時代、ハマグリを使用した「貝合わせ」に端を発します。
「貝合わせ」は次第に「歌貝(うたがい)」へと発展していきました。
「歌貝」は、二枚貝の貝殻の内側に、有名な和歌の上の句、下の句を書き分けます。
下の句を書いた貝を座に並べ、上の句を読んで下の句を取る、という、現代の百人一首かるたの遊び方に非常に近いものだったと言われています。
※こちらは貝合わせを再現した工芸品です。
百人一首が歌かるたとして遊ばれるようになったのは、戦国時代のこと。
”かるた”という言葉と共に、カードゲームがポルトガルから伝来しました。
そう、”かるた”って、カステラやボタン、カボチャなどと同じく、ポルトガル語なんです!
広く大衆に広まったのは江戸時代、庶民の文化が花開いた、元禄の頃のようです。
長い歴史を持つ百人一首かるたですが、明治時代になって、ルールの統一が図られ、競技かるたとして確立してきました。
毎年お正月には、男子の最強選手を決める”名人戦”と、女子の最強選手を決める”クイーン戦”が行われます。
これから、競技かるたや、百人一首の魅力について、私立暁星中学・高等学校の競技かるた部の顧問、田口貴志先生にご協力をいただきながら、ご紹介していきます。
どうぞお楽しみになさってくださいね!
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