ありま山 大弐三位 小倉百人一首 競技かるた

百人一首かるたの歌人エピソード第58番大弐三位(だいにのさんみ)は、偉大な母・紫式部にも負けない才女!

ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

 
しばらく音沙汰がなくなった男性から、「しばらく会っていない間に、あなたが心変わりしていないか心配で~」なんてメールが届いたら・・・
お返事に、ちょっとこじゃれた嫌味を言ってみたくなりませんか?
畳の上の格闘技、競技かるたに使われる小倉百人一首の歌人エピソード第58番は、紫式部の一人娘・大弐三位(だいにのさんみ)の登場です。ユーモアと機知に富んだ、鮮やかな返歌をご紹介いたします。

 

大弐三位 百人一首

大弐三位(出展:Wikimedia Commons)

 

母親譲りの才女・大弐三位

大弐三位は、平安時代中期の歌人で、三十六歌仙のひとりとして讃えられている女性です。大弐三位という名は、夫の官位からきた呼び名で、本名を藤原賢子(ふじわらのかたいこ)といいます。母は『源氏物語』の作者、超有名人の紫式部です!
賢子は3歳の頃に父と死別し、祖父のもとで育ちました。母・紫式部は、賢子をとても大切に育てましたが、賢子が15歳の頃に亡くなってしまいます。
ひとりぼっちになった賢子は、母の後を継ぐように、中宮彰子に仕えます。父親譲りの美しさと快活さ、母親譲りの才気と勝気を発揮し、宮中の人々に「さすがは紫式部の娘」と言われていたのだとか。
文才にも長けた賢子、『源氏物語』の最終章『宇治十帖』は、賢子が書いたという説もあるほどです。

 

有馬山にほど近い猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音を立てますよね。そうよそうよ、忘れたのはあなたじゃないの?私がどうしてあなたのことを忘れたりするものでしょうか?

 
しばらく音沙汰がなかった男性から「貴女が心変わりしていないか心配で・・・」という文がきました。その文に返した歌がこちらです。技巧を散りばめた優雅な嫌味!平安女性の、したたかさと強さを秘めた、愛の表現ともいえますね。

賢子は、多くの貴公子からのお誘いも受けていました。和泉式部の娘、小式部内侍と同じく、偉大な母を持つ娘として、宮中では注目の的だったようです。
小式部の内侍をからかって手痛いしっぺ返しをくらった、あのチャラ男・藤原定頼とも噂があったみたい(笑)

小式部内侍は20代で亡くなりましたが、大弐三位は長生きをしました。この時代の人には珍しく、83歳くらいで平穏な生涯を閉じたと言われています。

 
☆こちらの記事は、大弐三位の母・紫式部と親交のあった、大納言公任(藤原公任)の歌をご紹介しております。


滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
自らの命が絶えても、その功績・作品は時代を超えて語り継がれたい… これこそ芸術家の夢・芸術家の願いではないでしょうか?
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第55番大納言公任~この命絶えるとも、我が作品よ永遠なれ! ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

 

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