百人一首かるたの歌人エピソード第9番~小野小町から1000年の時を越えたエール!くよくよ思い悩んでいないで、歩いていこう!

花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

その生涯が謎に包まれているミステリアスな女性、小野小町。
世界三大美女のひとりとも言われる小野小町は、情熱的で優れた歌を数多く残し、今もなお人々の共感を集めています。

”畳の上の格闘技”、競技かるたで使用される、小倉百人一首の歌人エピソード、今回は、小野小町をご紹介いたします。

 

狩野探幽『三十六歌仙額』に描かれた小野小町(出展:Wikimedia Commons)

 

謎の美女、小野小町のこと

小野小町が生きたのは、平安初期、西暦800年頃と言われています。
平安時代を代表する歌人「六歌仙」に、女性としてただ一人選ばれている方で、数多くの素晴らしい和歌を残していますが、その生涯は、全くわかっていません。
小町は本名ではなく、「町」は後宮に仕える女性であったことを示していて、「小」は”妹”を意味していると考えられています。仁明天皇(にんみょうてんのう、810-850)の更衣で、本名は小野吉子という説もあります。

小野小町が絶世の美女だったかどうかは、実は疑わしいのですが、情熱的な恋の歌が数多く残されていることから、相当なモテ女だったのは間違いなさそうです。

 

イケメン僧侶、僧正遍昭の影

小倉百人一首に選ばれている小野小町の歌には、小野小町の秘められた恋のお相手と言われる、僧正遍昭の面影が見え隠れします。

若き日の遍昭がお仕えしたのが、小野小町がお仕えした方ではないかと言われる仁明天皇です。
仁明天皇が40歳という若さでお亡くなりになったとき、遍昭は歌を残して出家しました。

 
みな人は 花の衣になりぬなり こけのたもとよ かはきだにせよ(僧正遍昭)

世間は桜の花盛り、人々もみな花の衣の華やかな色になっているけれど、私は出家して、いつも湿っていて涙の乾くことのない苔の衣を着ています。せめて袂が乾いてくれればと願うばかりです。

 
小野小町の歌は、まるで遍昭の歌を受けて詠まれたかのようです。
更衣として仕えた天皇が亡くなり、親交のあった遍昭が出家。小野小町もまた、ひとつの時代が終わったことをしみじみと感じたことでしょう。
 
花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

桜の花の色は、今はすっかり衰えてしまったのでしょうね。私がこの長雨に閉じ込められたように、むなしく暮らしているあいだに。

 

京都・随心院にある小野小町の歌碑(Photo by Akio Oosawa)

 

散りばめられた技巧に隠されたメッセージ

この歌には、掛詞を多用して二重の意味を持たせるという、非常に高度な技巧が使われています。

”花の色”は、散りゆく桜の花と、女性の美しさ
”世”は、世代と男女の仲
”ふる”は、雨が降る、時が経過する
”ながめ”は、長雨と物思い
 

若かった頃は、私もきれいって言われてたのに、恋や世間のもろもろに思い悩んでいるうちに、すっかり年とっちゃったわ・・・

桜の終わりを嘆く歌の中には、誰もが心に持つ、若い頃にやり残したことへの後悔の想いが込められていたのです。
1000年前のつぶやきですが、「あるある!」って、相づちを打ちたくなってしまいますね!

 
「後悔したくなかったら、くよくよ思い悩んでいないで、歩いていくのよ。」

小野小町が、長い時を越えて、今を生きる私たちに、そう語りかけているような気がいたします。

 
※僧正遍昭と小野小町、お二人にまつわるお話は、こちらの記事もご覧くださいね。


岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなん(小野小町)
世をそむく 苔の衣は たゞ一重 貸さねば疎し いざ二人寝ん(僧正遍昭)
高貴なお生まれにも拘らず、若くして出家なさったイケメン僧正遍昭(へんじょう)と、謎の美女・小野小町。 平安時代のビッグカップル、噂のお二人の真相はどうだったのでしょう?

情報源: 百人一首の歌人エピソード外伝~平安時代のビッグカップル!?イケメン僧正遍昭と絶世の美女小野小町、恋の行方は・・・

 

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