百人一首かるたの歌人エピソード第30番~壬生忠岑、別れの朝の切なさを月に託して
有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
夜ごとに表情を変える月は、時に切なさや寂しさを象徴します。
畳の上の格闘技、競技かるたに使用される小倉百人一首から、今回はもの寂しさを表現する”有明の月”をテーマにした歌をご紹介させていただきます。
小倉百人一首の選者である藤原定家に、「これほどの歌をひとつでも詠めたら、もうこの世に思い残すことはないだろう」と大絶賛された、壬生忠岑(みぶのただみね)の作品です。
”有明の月”ってどんな月?
”有明の月”とは、明け方近くまで白く光っている月を言います。
月の出の時刻は、地球から見える月の姿、月相(げっそう)によって変化します。
新月のときの月の出は、日の出とほぼ同時、満月のときの月の出は、日の入りとほぼ同時です。満月から新月に向かうとき、月の出は次第に夜遅くなっていきます。
つまり、”有明の月”は、夜明け前という1日で最も寂しい時間帯にはかなく光る、満月という最盛期を過ぎた月を意味しているのです。寂しいわけですね。
歌で歴史に名を残した壬生忠岑
作者の壬生忠岑は、平安時代初期の方。「古今和歌集」の選者の1人で、三十六歌仙に数えられています。あまり身分は高くなかったのですが、歌の秀逸さで高い評価を得た方です。
『拾遺和歌集』では、通常は天皇や皇族の歌が選ばれる巻頭歌に、壬生忠岑の歌が撰ばれています。まさに「芸は身を助ける」を体現した方といえます。
数多くの恋の歌を残していて、平安時代きってのプレイボーイ在原業平と並ぶ恋の名人!?なんて噂もあったとかなかったとか・・・(笑)
あの夜明け、空にはすげない有明の月が、心乱れて帰る私の上にかかっていました。あの朝のあなたとの別れ以来、私にとって夜明けほどつらいものはありません。
通い婚だった平安時代、明け方に別れるのは、男性も女性も、寂しくて後ろ髪を引かれる思いだったことでしょう。
愛する人と夜を過ごした後、夜明けを待たずに去らなければいけないのも寂しいけれど、やっと訪ねたのに、愛しい女性から拒絶されたときの無念さたるや・・・”恋人にフラれた中年男の悲哀状態”というところでしょうか?
どちらにしても、もの寂しいのは同じ。別れの寂しさは、昔も今も変わっていないのですね。
☆こちらの記事は、奈良時代のエリート留学生・阿倍仲麻呂が、故郷の月を懐かしんで詠んだ歌をご紹介しております。
故郷を遠く離れても、空に輝く月は同じ。畳の上の格闘技、競技かるたに使われる小倉百人一首に選ばれている、月をテーマにした歌の中から、今回は奈良時代のエリート留学生、阿倍仲麻呂をご紹介させていただきます。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード〜優秀すぎて日本に戻れなかった、奈良時代のエリート留学生・阿倍仲麻呂
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