百人一首かるたの歌人エピソード〜優秀すぎて日本に戻れなかった、奈良時代のエリート留学生・阿倍仲麻呂
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
故郷を遠く離れても、空に輝く月は同じ。
畳の上の格闘技、競技かるたに使われる小倉百人一首に選ばれている、月をテーマにした歌の中から、今回は奈良時代のエリート留学生、阿倍仲麻呂をご紹介させていただきます。
阿倍仲麻呂(698~770)は、大和国(今の奈良県)で生まれました。幼い頃から優秀だった仲麻呂は、19歳のとき、遣唐使に同行して唐に留学します。唐では、時の皇帝・玄宗に気に入られ、「朝衡(ちょうこう)」という名前で、唐の朝廷に仕えることに。仲麻呂は、重要な職務を歴任し、また李白や王維といった、唐を代表する詩人たちと親交を深めていきました。
時は流れ35年後、長らく唐の朝廷に仕えた仲麻呂に、帰国の許可が出ました。しかし、仲麻呂の乗った船は難破してしまい、仲麻呂は行方不明に・・・
やっとのことで唐の都、長安に戻ることができた仲麻呂ですが、その後は、行路が危険だからという理由で、帰国の許可が出ることはありませんでした。
仲麻呂は、帰国をあきらめ、引き続き唐の朝廷に仕えました。そして、一度も日本に帰ることなく、73歳の生涯を終えました。
玄宗・粛宗・代宗という3代の皇帝に仕えた仲麻呂は、死後、長年にわたる功績から「潞州大都督」という高い官位を贈られています。
空を仰ぎ見ると、月が出ている
かつて春日の三笠山に出ていた月と同じ月なのだなあ
帰国のお許しが出たとき、唐の同僚たちが、仲麻呂のために送別の宴を開きました。この歌は、送別会の席で仲麻呂が詠んだと伝えられています。
仲麻呂が望郷の思いで眺めた月は、奈良の都を遠く離れた唐の国でも、美しく輝いていたのでしょうね。
仲麻呂、鬼になる!?
仲麻呂が詠んだ望郷の歌は、平安時代の誰もが知っていたほど、多くの人々の共感を得ました。しかし、平安後期になると、怪しげな伝説が語られるようになります。
唐の皇帝に重用された仲麻呂は、大臣たちに妬まれ、ある夜、酒に酔わされ、高殿に幽閉されて、そのまま死んでしまったそうです。
死んで鬼になった仲麻呂は、同僚だった遣唐使、吉備真備の窮地を何度も助けました。吉備真備は、仲麻呂のお蔭で無事に勤めを果たして帰国できたのだとか。
我が身は鬼と化しても、友を守った・・・といったところでしょうか?どうしてこんな伝説が生まれたのかは、謎に包まれています。
☆遣唐使つながり!こちらの記事では参議篁(さんぎたかむら)をご紹介しております。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
何やら勇壮な船出の歌のようにも聞こえますが・・・
”畳の上の格闘技”、競技かるたで使用される小倉百人一首の歌人エピソード、今回は、参議篁(さんぎたかむら)をご紹介いたします。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード~参議篁(さんぎたかむら)のありえないダブルワーク!そして紫式部との関係とは?
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