百人一首かるたの歌人エピソード~参議篁(さんぎたかむら)のありえないダブルワーク!そして紫式部との関係とは?
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
何やら勇壮な船出の歌のようにも聞こえますが・・・
”畳の上の格闘技”、競技かるたで使用される小倉百人一首の歌人エピソード、今回は、参議篁(さんぎたかむら)をご紹介いたします。
参議篁は、なんと、朝廷と地獄でダブルワークをしていた!と伝えられる人物です。そんな人物の詠んだ歌とは?
平安初期のデキる男
参議篁の”参議”は役職名で、本名は小野篁(おののたかむら)といいます。平安時代初期の公卿・文人。絶世の美女として知られる女流歌人、小野小町の父または祖父という説もある方です。
小野篁は、頭脳明晰で政務をこなす能力に優れ、すばらしい漢詩や和歌を数多く残し、書家としても高名で、しかも身長188センチの巨漢!
一方で反骨精神に富んだ人物でもあり、「野狂」とも呼ばれていたそうです。
小野篁のもうひとつの顔
その優秀さと反骨精神からでしょうか?小野篁は、昼間は朝廷で帝に仕えながら、夜中は地獄で閻魔大王に従い、裁判の補佐をしていたと伝えられています。
小野篁の地獄での有名なエピソードが、紫式部の救済です。
愛欲に満ちた作り話『源氏物語』を書いた罪で、地獄に落とされた紫式部を、小野篁が地獄の裁判で弁護。そのおかげで、紫式部は無事に極楽に行くことができたのだとか。
遣唐副使に任命されたけれど・・・
小野篁は、高い能力を認められて、遣唐使の副使に任ぜられました。
しかし、航海技術の低い時代のこと、篁の乗った遣唐使船は、何度も航海に失敗。破損した船に乗せられそうになった篁は、怒り爆発!結局、船は篁を残して唐に行ってしまうことに。
怒りのおさまらない篁は、遣唐使の事業や朝廷を風刺する漢詩を作って、嵯峨天皇の怒りにふれ、隠岐に流罪になってしまいました。
広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出していったよ、と都にいる人々に告げておくれ、漁師の釣舟よ
小倉百人一首に選ばれた篁の歌は、流刑地である隠岐の島に向かう途中で詠んで、宮廷の人々に送ったといわれています。一見すると、意気揚々と冒険の旅に向かうようですが、実はひとり寂しく流刑地に向かう姿が描かれていたのですね。
2年後、篁は恩赦により都に復帰します。文才の高さゆえに、特別に元の地位に戻された篁は、最後は参議という高い地位にまで上り詰めたのです。
☆こちらの記事は、小野篁が地獄から救い出した紫式部についてご紹介しております。
畳の上の格闘技、競技かるたに使われる小倉百人一首には、12首の月の歌が選ばれています。その中から、幼友達との再会と別れを、雲間に消えた月になぞらえて詠んだ歌をご紹介させていただきます。
百人一首かるたの歌人エピソード、今回は紫式部の登場です。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード〜内気な才女・紫式部、幼友達への想いを雲に隠れる月に込めて
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