百人一首かるたの歌人エピソード第57番〜内気な才女・紫式部、幼友達への想いを雲に隠れる月に込めて
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
畳の上の格闘技、競技かるたに使われる小倉百人一首には、12首の月の歌が選ばれています。その中から、幼友達との再会と別れを、雲間に消えた月になぞらえて詠んだ歌をご紹介させていただきます。
百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第57番、紫式部の登場です。
寂しそうな歌に見えますが、どんなストーリーが隠れているのでしょう?
平安時代きっての才女、紫式部
平安時代中期に生きた、女性作家で歌人の紫式部。『源氏物語』は、日本最古の女性作家による長編小説として、あまりにも有名です。今では、20を超える言語に翻訳されて、世界中で読まれているのだとか。
紫式部は、お父様の藤原為時に「この子が男だったらよかったのに・・・」と言わせたほど、才女の誉れ高い女性でしたが、どちらかといえば、内気で謙虚な性格だったようです。ネクラで、リア充女を嫌っていた!?なんて噂もあり(笑)、どうやらお友達は、あまり多くなかったみたいです。
せっかく久しぶりに会えたのに、貴女だとわかるかどうかの、わずかな間にあわただしく去ってしまったのね。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように
小倉百人一首に選ばれた紫式部の歌は、幼友達との再会と別れを、表現しています。
内気な才女・紫式部にとって、おそらく数少ないお友達だったのでしょう。
月が雲に隠れてしまって、残ったのは暗闇・・・どうやら、この歌に登場する紫式部の幼友達は、父親か夫の転勤により、望まない転居をしたようです。歌に漂う寂しさから、とても心躍る門出とは言えないことが伝わってきます。
月は”めぐるもの”
「月」と「めぐる」は縁語と呼ばれる、とても関係の深い言葉です。満ち欠けをする月は、”めぐるもの”なのです。
今は闇夜でも、また明るく美しい月は戻ってくるように、いつの日か、あなたも京の都に戻ってこれる。私たちも、まためぐり会えるわよ。
縁語が使われていることから、この歌には、寂しさだけでなく、幼友達に対する、紫式部の優しい気持ちも込められていたことがうかがえます。
寂しさと優しさが同居した佇まいが、長い時間を経て、紫式部が多くの人に愛されてきた理由なのかもしれませんね。
※新古今和歌集や、小倉百人一首の古い写本では、この歌の締めくくりは「夜半の月影」でしたが、時代を経て「夜半の月かな」に変化していきました。現代の百人一首かるたも、「夜半の月かな」が採用されています。
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