「聖なる島」カホオラヴェ島-数奇な運命の果てに見えた、ハワイの新たな希望の光

マウイ島から望むカホオラヴェ島(Photo by Kichiya Suzuki)

Kaho’olawe(カホオラヴェ※)は、マウイ島の沖合にある小さな島です。
※カホオラウェと呼ばれることもありますが、ここでは、カホオラヴェと表記させていただきます

ハワイ諸島は、全長約24万Kmに及び、8つの主要な島と小さな島々や環礁から成り立っています。カホオラヴェ島は、主要8島で最も小さな島です。
大昔にはカナロアと呼ばれ、ハワイ神話の四大神のひとり、海の神カナロアに捧げられた島だったともいわれています。

 

赤い場所がカホオラヴェ島(出展:Wikipedia)

 
古代のカホオラヴェ島

カホオラヴェ島は非常に乾燥していて、人が住むには厳しい環境ですが、かつて古代ハワイ人たちがこの島に住んでいたことがわかっています。
彼らはこの島を航海において重要な島と考えていたようで、カホオラヴェ島とラナイ島の間の海峡は、ハワイ語で「ケアライカヒキ(タヒチへの途)」と呼ばれています。カホオラヴェ島には、ハワイ諸島でも最大規模のヘイアウ(神殿)の遺跡や、航海の標識だったといわれる巨石があるそうです。
また、南太平洋のフランス領ポリネシアのツアモツ諸島では、カホオラヴェ島の石で作られた石斧が発見されていて、古代ポリネシア人の「大いなる旅」が、ポリネシア全体をカバーしていた根拠とされています。

 
カホオラヴェ島の悲しい歴史

統一ハワイ王朝が成立するまでの間、ハワイ諸島では何度も戦いが起きました。その影響でカホオラヴェ島の荒廃が進み、次第に誰も住めない島と化していきました。
18世紀、ハワイ諸島に西洋人がやってくると、西洋人の食料供給のために、カホオラヴェ島にヤギ、ヒツジ、牛が放牧されました。島の固有植物は壊滅的な被害を受け、土壌はさらに荒れ果てていきました。
カメハメハ3世(1813 – 1854)の時代には、流刑地として使用されていたそうです。
そして20世紀。州政府は自然の回復を試みたもののうまく行かず、やがて太平洋戦争が起こると、島は米軍に接収され、わずかに住んでいた人々も全員退去。島は対地攻撃演習の標的として使われ、おびただしい爆撃を受けました。
カホオラヴェ島は「標的の島」と呼ばれることがありますが、ここからきているんですね。

 
カホオラヴェ島再生へ

1970年代に入り、ハワイの人たちの間で、先住ハワイ人の文化や伝統を取り戻そうという「ハワイアン・ルネッサンス」の動きが起こりました。その一環として、カホオラヴェ島を軍から取り戻そうという動きも始まりました。
彼らの長期間にわたる努力により、1991年には米軍の演習が終了、1993年に島はハワイ州政府に返還されました。

 

カホオラヴェ島返還セレモニーでフラダンスを奉納する Frank Kawaikapuokalani Hewett(出展:Wikipedia)

 
島が返還されたとき、カホオラヴェ島は、先住ハワイ人の文化と宗教の活動にのみ使用することが決まり、この島での営利活動は一切認められないこととなりました。
カホオラヴェ島は、文字通り「聖なる島」として再生の歩みをスタートしたのです。

 

Photo by Hawkins Biggins [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 
今もなお、カホオラヴェ島では、米軍の演習の残骸除去と植物の回復の活動が行われています。
私たちも、カホオラヴェ島の復活を祈り続けたいものです。

 
※ハワイ諸島の主要8島を象徴する花や色のストーリーは、こちらもご覧くださいね。

 

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