はかなく美しくもの悲しい~「三夕(さんせき)の歌」から垣間見える日本文化の粋
夕焼けは、世界中どこで見ても美しいものですが、はかなさやもの悲しさの漂う秋の夕暮れというのは、日本ならではの情景かもしれません。まさに日本文化の粋!はるか1000年の昔、平安時代でもその想いは同じだったようです。ひょっとしたら、日本人のDNAに刷り込まれた情緒なのかもしれませんね。
今回は、13世紀、鎌倉時代初頭に編纂された、新古今和歌集に伝わる「三夕(さんせき)の歌」をご紹介いたします。
いずれの歌も、心に沁みる秋の情景を歌い上げています。しかも三句目を「けり」で切り、五句目を「秋の夕暮れ」で結んでいる、という共通点まであるんですよ!
さびしさは その色としも なかりけり 槙(まき)立つ山の 秋の夕暮れ(第361番 寂蓮)
秋の寂しさというのは、目に見えるものとは関係ないんだね。だって杉やヒノキが青々と茂る山の夕暮れの寂しさが身に染みてくるよ。
寂蓮(1139~1202)の俗名は、藤原定長といいます。小倉百人一首の選者、藤原定家のいとこです。30代の頃に出家し、歌人として活躍しました。後鳥羽上皇からも、その才能は高く評価されています。
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ(第362番 西行)
出家して、いくら修業を積んでも、心の底から湧き上がってくる想いは止められない。鴫立つ沢の秋の夕暮れの美しさよ。
本来僧とは、執着の念から遠くあるべき。美しいものを美しいと思うことは、苦しみだったのですね。
旅する僧・西行(1118~1190)は、俗名を佐藤義清(のりきよ)と言い、鳥羽上皇に北面の武士として使えていました。23歳のときに家庭と職を捨てて出家。東北や中国・四国など各地を旅して、数多くの歌を残しました。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮れ(第363番 藤原定家)
見渡すと、花も紅葉も何もない。海辺のボロ屋があるだけの、何と寂しい秋の夕暮れよ。
そこに描かれたのは、なんとも粗末な風景ですが、これこそが「わび・さび」だと、後世の人々から大いに好まれたそうです。千利休の師匠で「わび茶」を大成した竹野紹鴎が、この歌こそがわび茶の心だと絶賛したのだとか。
作者の藤原定家(1162~1241)は、小倉百人一首の選者として有名な方です。”美の使徒”とも呼ばれ、技巧的で美しい歌を数多く残しています。
いつ頃から「三夕の歌」と呼ばれるようになったのかは、定かではありません。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が活躍した、16世紀中ごろには、「三夕」という言葉が文献に現われていたようです。
日本ならではの秋の夕暮れの情景、みなさまもご自宅やお勤め先の近所で探してみてくださいね。
☆こちらの記事は、小倉百人一首に選ばれた寂蓮法師の歌をご紹介しております。「むきー!」って何???
むらさめの 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮 最初の音が聞こえた瞬間、パシッと鋭い音とともに札が飛ぶ、”畳の上の格闘技” 競技かるた。百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第87番寂蓮法師の登場です。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第87番寂蓮法師~激しい戦いを呼ぶ一字決まりの歌が描いた幻想的な情景 ⋆ MUSBIC/ムスビック
MUSBIC公式 Facebook ページ
この記事へのコメントはありません。