日本上陸から今に至るまでの「日本のフラダンス&タヒチダンス事情」について知りたい
古代ポリネシア人が「大いなる旅」とともに、タヒチからハワイへと伝わり、独自の進化を遂げてきたフラダンス。日本では、「ハワイ」や「南の島」が大好きな日本人によって、大切に伝え広まってきました。
今回は、日本に上陸してから今に至るまでの、日本におけるフラダンスやタヒチアンダンスの歴史をご紹介いたします。
ハワイアン・ミュージックとフラダンスの日本上陸
フラダンスが日本に紹介されたのは、第二次世界大戦後のことです。
終戦後日本にやってきたアメリカ兵たちによって、ハワイアン・ミュージックと共に、フラダンスがもたらされました。
大々的に紹介されたのは、1964年、常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)が最初ではないかと言われています。
日本に紹介された当初は、アウアナ(近代フラ)のみで、カヒコ(古典フラ)は紹介されていませんでした。フラダンスとタヒチアンダンスの区別もされていませんでした。
今でもフラショー、フラダンスショー、ハワイアンショーといったステージで、タヒチアンダンスが披露されていることもありますね。同じポリネシアですので、そこは、あまり堅苦しく考えず、ショーを楽しむのがよいと思います!
カヒコ、タヒチアンダンスの登場
カヒコ(古典フラ)が、日本でも注目されるようになったのは、1990年頃のことです。タヒチアンダンスは、2000年頃から盛んになってきました。
今ではアウアナ(近代フラ)も、カヒコ(古典フラ)も、フラダンス教室で教えられていますし、フラダンス教室の中で、「ついで」のような存在だったタヒチアンダンスも、お教室として独立して育ってきています。
映画「フラガール」で大ブームに!
2006年に公開された映画「フラガール」は、常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)の誕生から成功までの、実話をもとにしたストーリーで、大ヒットしました。この映画の影響もあり、日本でフラダンスとタヒチアンダンスがブームとなりました。
フラダンスやタヒチアンダンスは、一過性のブームで終わることなく、習い事のジャンルとして定着してきました。実際にフラダンスやタヒチアンダンスを受け継ぎ、伝えてきた人たち、しっかり習って身につけてきた人たちのお蔭ですね。
映画「フラガール」で一躍有名になった、スパリゾート・ハワイアンズのポリネシアン・グランドステージでは、タヒチアンダンスやフラダンスやサモアの火の踊りなど、ポリネシアの様々な地域のダンスが、毎日披露されています。
日本のフラダンス人口は先住ハワイ人の10倍!?
日本のフラダンス人口は100万人と言われています。これがどんな数字かと言う数字を、ちょっとご紹介いたします。
2010年ハワイ州の人口は約130万人、そのうち先住ハワイ人の比率はわずか6%、10万人程度。純血のハワイ人は、8,000人もいないのではないかと言われています。
何と日本でフラダンスをやっている人は、先住ハワイ人の人口の約10倍、純血ハワイ人の人口の125倍ということになります!日本におけるフラダンスの普及は、ハワイの文化を伝え、守っていくお手伝いと思っていましたが、数字の上では、フラダンスのさらなる発展にも寄与していることになるんですね。
フラダンスだけでなく、世界中の様々な伝統芸能が、もっともっと広がっていくといいですね!
フラ(hula)は、ハワイの伝統的な歌・踊り・音楽がミックスした総合的な芸術で、宗教的な儀式でもあります。
ハワイの伝統芸能フラ(hula)には、「ダンス」という意味が含まれています。
そのため、フラ(hula)と呼ばれる事も多いのですが、「フラダンス」の方が一般的です。
このサイトでは「フラダンス」と表記させていただいております。
情報源: ハワイの教養として、フラダンスのことをきちんと知りたい! | MUSBIC/ムスビック
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