百人一首かるたの歌人エピソード第44番・中納言朝忠~恋は幸せ、でも恋は切ない

あふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

片思いはつらいけれど、両想いになったら幸せになれたけど、余計につらくなった・・・
恋をしたときの切ない想いは、昔も今も変わりませんね。”畳の上の格闘技”、競技かるたで使われる小倉百人一首の歌人エピソード、今回は第44番・中納言朝忠をご紹介いたします。

 

中納言朝忠 三十六歌仙

江戸時代の絵師・狩野安信が描いた中納言朝忠(出展:Wikimedia Commons)

 

藤原北家のエリート御曹司

中納言朝忠の本名は、藤原朝忠(910-966)といいます。NHK大河ドラマ『光る君へ』の中心人物・藤原道長の正妻・倫子の祖父にあたる方です。
朝忠は、後に藤原北家が勢力を拡大していた時期に生まれ、その波に乗って順調に出世しました。歌と笙(しょう・笛の一種)の名手で、三十六歌仙のひとりとして讃えられています。恋愛遍歴が豊かな人で、第38番・右近も恋人のひとりだったと言われています。

 

遭うことがまったくなかったならば、かえってあなたのつれなさも私のつらさも、恨まずに済んだでしょうに

 
藤原朝忠の華やかな恋愛遍歴が、このように優れた歌を誕生させたのでしょうか?
実はこの歌、「歌合せ」と呼ばれる歌の競技会で詠まれました。朝忠は、このとき6戦5勝と大活躍したそうです。

 
ところで、藤原朝忠については、不名誉な伝説が残っています。
朝忠は、座るのも苦しいほどの肥満体で、ダイエットのために、水につけたご飯を食べるように医師に勧められたのですが、さらさらと食べやすかったのか、たくさん食べすぎてかえって太ってしまったとか。
でもこれは人違いで、実際は朝忠の弟、藤原朝成のことだったそうです。
そんな間違いも1000年残ってしまうなんて、日本は何だか不思議な国ですね。

 
☆こちらの歌もまた、両想いになってからの幸せと切なさを歌い上げています。


逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり 深まる秋は、人恋しくなる季節でもありますね。”畳の上の格闘技”と言われる、競技かるたで使われる小倉百人一首から、人恋しい季節に似合う、切ない恋の歌をご紹介いたします。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第43番~権中納言敦忠、若くして亡くなった美青年の切ない想い ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

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