百人一首かるたの歌人エピソード~史上最凶の怨霊から最強の守護神になった、崇徳院のお話

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

 
史上最強の怨霊とか、最強の守護神とか、何事かと思ってしまいますね!

”畳の上の格闘技”、競技かるたは、一瞬を争う激しい戦いが魅力です。
試合で勝つためには、歌を全て暗記していることが前提となります。

競技の場では、歌の内容や作者のことが問われることはないのですが、ただの丸暗記ではもったいない!
小倉百人一首の歌人たちには、とても興味深いエピソードが秘められているんです。

今回は、この歌の作者、崇徳院についてご紹介させていただきます。

 

天子摂関御影より崇徳天皇像(出展:Wikimedia Commons)

 

崇徳院の不遇な生涯と怨霊伝説

平安時代の歌人、崇徳院(すとくいん、1119年~1164年)とは、日本の第75代天皇、崇徳天皇のことです。
崇徳院は、とても不幸な生涯を送られた方です。

崇徳院と、異母弟である後白河法皇との間に起きた皇位継承問題や、公家たちの権力争いは、1156年に「保元の乱」と呼ばれる武力衝突へと発展しました。
敗北した崇徳院は、讃岐(今の香川県)に流され、二度と京に戻ることなく、1164年に亡くなられました。

『保元物語』によると、崇徳院は、戦の反省と戦死者の供養のため写経を行い、都に送りましたが、呪いが込められていると勘繰った後白河法皇によって、送り返されてしまいました。
後白河法皇の仕打ちに激怒した崇徳院は、自らの舌をかみ切って、その血で国を呪う言葉を残して亡くなり、そのまま天狗になったとか…

真偽の程は、定かではありませんが。

 
崇徳院の死後しばらくたった1176年頃から、崇徳院と敵対した人々が相次いで亡くなったり、さまざまな事件や大火事が次々に起こりました。

これが、崇徳院の怨霊の仕業ではないかと、考えられたのですね。

精神的に追い詰められていった後白河法皇は、怨霊を鎮めるために、崇徳院の罪人扱いを解き、その御霊を鎮めようとしました。
しかし、武家の台頭によって、朝廷の権力は落ちてしまい、きちんとした祭礼を行うこともできないまま、700年もの時が流れてしまうことに。

 
700年の間に、怨霊としての崇徳院のイメージが定着!
『雨月物語』や『椿説弓張月』など、様々な文学作品に登場する怨霊のモチーフとなり、崇徳院は、史上最凶の怨霊としての地位を確立したのです。

 

『椿説弓張月』より、崇徳上皇が讃岐で崩御し怨霊になる瞬間を描いた一場面(歌川芳艶画)出展:Wikimedia Commons

 

最強の守護神伝説

一方で、崇徳院は四国全体の守護神でもあります。

1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府討伐の兵を挙げて敗れた、「承久の乱」が起きました。
後鳥羽上皇の息子である土御門上皇は、挙兵には反対したものの、自分だけ京に残るのは忍びないと、自ら土佐(現在の高知県)に流されました。
土佐に向かう途中で、讃岐の崇徳院の御陵近くを通った際、土御門上皇は、崇徳院の鎮魂のために琵琶を弾きました。
すると、夢に崇徳院が現れて、京の家族を守ると約束したのだそうです。

後に土御門上皇の遺児が、後嵯峨天皇として即位。約束が果たされたのですね。

 
室町時代になると、細川頼之が四国の守護を命じられました。
頼之は、四国平定に先立ち、崇徳院の冥福を祈り、手厚い供養を行いました。
そして四国平定を見事に達成!
崇徳院が守ってくださったお陰と、心から感謝した細川氏は、代々守護神として崇徳院を崇敬しました。

こうして、史上最凶の怨霊だった崇徳院は、最強の守護神となったのです。

 

時は移り、明治維新

朝廷はようやく実権を取り戻しました。
1868年、明治天皇は、ご自身の即位の礼にあたり、勅使を讃岐に送って、崇徳天皇の御霊を京都に戻し、白峯神宮を創建しました。
崇徳天皇没後800年にあたる1964年には、昭和天皇が崇徳天皇の式年祭を執り行いました。

崇徳院のストーリーは、人には礼を尽くしましょう、ご先祖様は大切に敬いましょう、という教えでもある気がいたします。

 

京都市の白峯神宮

 

歌人としての崇徳院

崇徳院は、幼いころから和歌をたしなみ、数多くの優れた歌を残した歌人として、知られています。
小倉百人一首に選ばれた歌は、崇徳院の歌の中でも、最も有名ですね。

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

 

川の浅瀬の流れが速く、岩によって2つに分かれた急流が、いずれ1つになるように、
今は愛しいあの人と離れ離れになっても、いつか必ずまた会える。

 
保元の乱で地位を失った崇徳院が、いつか返り咲いてやる!という意思を歌った歌だ、という説もあるようですが、事実ではないみたいです。
運命のいたずらで離れ離れになった恋人たちが再会を誓い合う、ロマンティックな歌として記憶したいものですね。

 

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