桜 桜吹雪 

百人一首かるたの歌人エピソード第96番~入道前太政大臣は”承久の乱”で鎌倉幕府の勝利に貢献した陰の功労者

花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

”畳の上の格闘技”競技かるたに使用される小倉百人一首、その第96番に登場する入道前太政大臣。本名を西園寺公経(さいおんじきんつね)と言います。承久の乱以降の朝廷で、権力を独り占めにした方でもあります。

 

西園寺公経 百人一首 競技かるた

西園寺公経像(出典:Wikimedia Commons)

 
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のクライマックスを飾った承久の乱。時の権力者、後鳥羽上皇が隠岐に流された後の日本は、明治維新を迎えるまで、武家社会が続くことになります。
承久の乱では、朝廷側にも鎌倉幕府に協力をした方がいました。その最大の功労者と言われるが、西園寺公経(さいおんじきんつね)です。

 

西園寺公経(さいおんじきんつね)のこと

西園寺公経(1171~1244)は、平安時代末期から鎌倉時代に生きた公家です。源頼朝に厚遇された平頼盛の曽孫で、妻は頼朝の姪という縁があり、鎌倉幕府とはとても親しくしていました。
承久の乱のときには、幕府に計画をもらして、乱が失敗に終わるように仕向けました。その功績を認められ、公経は承久の乱の後、太政大臣に就任しました。京都の政界は、公経を中心に再編成・統一されることになったのです。

 

桜の花を誘って吹き散らす嵐の日の庭は、桜の花びらがまるで雪のように降っているけれど、実は老いていくのは私自身だったわ…

 
西園寺公経は、鎌倉幕府の第4代将軍・藤原頼経の祖父、5代将軍藤原頼嗣の曽祖父になります。さらに四条天皇、後深草天皇、亀山天皇の曽祖父にもなり、2人の将軍と3人の天皇の祖父・曽祖父となりました。まさに桜咲く!この世の春を謳歌した晩年でした。
公経は、現代にも続く西園寺家の実質的な祖とも言われています。

ただ、朝廷での評判はあまり良くなくて(笑)、”保身と我欲の充足ばかり考えていたヤツ”なんて言われています。本当のところはどうだったのでしょうね?800年も前のことなので、想像するしかありませんが(笑)

 

金閣寺 鹿苑寺 足利義満 西園寺公経

かの有名な”金閣寺”こと鹿苑寺の舎利殿は、西園寺公経の別荘の跡地に建てられたのだとか

 
西園寺公経は、61歳で出家し、今の京都市北山に西園寺を建立し、その近くに豪奢な別荘を建てました。しかし鎌倉幕府滅亡とともに西園寺家も衰退。荒れ果てた別荘は、後に室町幕府の第3代将軍足利義満が譲り受けて、別荘を建てました。それがユネスコの世界遺産にも指定されている金閣寺です。

 
☆こちらの記事では、小倉百人一首の”トリ”、順徳院の歌をご紹介しております。


百敷きや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり第1番の天智天皇から100番まで、ほぼ時代順に並ぶ小倉百人一首。そのトリ、第100番は順徳院。北条義時率いる鎌倉幕府に挑んだ、”ラスボス”後鳥羽上皇の第三皇子で、自慢のムスコだった方です。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第100番~小倉百人一首のトリ・順徳院は、鎌倉幕府に挑んだ”ラスボス”後鳥羽上皇の自慢のムスコ! ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

 

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