生誕200年記念~クララ・シューマン特集~クララ・シューマンをご存知ですか?

天才作曲家の妻で、8人の子どもたちの母、偉大なピアニストであり作曲家・・・

 
クララ・ヨゼフィーネ・ヴィーク・シューマン(1819.9.13~1896.5.20)は、実にいろいろな”顔”を持った女性です。いったい全体、素顔のクララはどんな女性だったのでしょう?

ムスビックでは、2019年、生誕200周年を記念して、クララ・シューマンという女性をご紹介していきたいと思っております。

今回は、クララ・シューマンの様々な表情をお伝えいたします。

 

クララ・シューマン(出展:Wikimedia Commons)

 

夫に尽くした貞淑な『妻』で、8人の子どもたちの『母』

 
クララの夫は、19世紀、ヨーロッパで活躍した有名な作曲家、ロベルト・シューマン(1810-1856)。
2人は、クララが20歳のときに、クララの父親の反対を押し切って結婚しました。
ロベルトが亡くなるまでの16年間の結婚生活で、クララは8人の子供を出産しました。長男は1歳で亡くなってしまいましたが、クララは、夫のサポートをしながら、また家計を支えるため演奏活動もしながら、7人の子どもを育て上げています。

 

夫にインスピレーションを与え続けた『ミューズ』

 
ギリシャ神話の文芸を司る女神たちに由来し、創作活動のイメージモデルとして、創作者にとって欠かせない存在の女性を、ミューズと言います。

音楽家同士の夫婦、ロベルトとクララ。2人は、共作を行ったり、それぞれが作った主題を使って作曲したりしましたが、男性主導だった19世紀、クララの活動は、夫をサポートするものと、みなされていたようです。

 

ボンにあるシューマン夫妻のお墓。ロベルトの足元で夫に従い、夫を見上げるクララが、ミューズたちと一緒に表現されています。

 

コンサートで”暗譜”でピアノを演奏する、という習慣を作った『天才ピアニスト』

 
クララは、世界初の女性職業ピアニストと言われています。
クララのキャリアの中心となったピアノは、クララの父親の英才教育の賜物でした。
父親のクララへの教育は、単に演奏のテクニックを身につけるに留まりませんでした。英語やフランス語といった語学の勉強や、体力をつけるために、1日数時間のウォーキングを行うなどなど。クララは、職業ピアニストとして成功するための全てを、父親から学びました。

後にロベルトとクララは、結婚を許してもらうため、父親を相手に訴訟を起こすのですが、そんな対立の最中でも、クララは、父親から受けた素晴らしい教育への感謝の心を忘れなかったそうです。

 

女性の活躍が制限されていた時代に、自らのキャリアを追い続けた『ビジネスパーソン』

 
19世紀のヨーロッパは、現代とは比べ物にならないほど、女性の活動は制限されていました。そんな時代に、クララはワーキングマザーとして活動を続け、職業ピアニストの地位を不動のものにしただけでなく、後進の指導にも力を注ぎました。

クララの功績を讃えるため、ドイツでは、ヨーロッパの貨幣がユーロに統一される前の100マルク紙幣に、クララの肖像画が使われていました。

 

クララの肖像画が描かれた旧100マルク紙幣

 

1833年、クララが13歳の時に作曲し始め、1835年に完成した、ピアノ協奏曲イ短調作品7をご紹介いたします。
初演は、クララ自身のピアノ、メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、というメンバーで演奏されました。
美しい旋律からあふれるクララの才能、しばしお楽しみくださいね!

 

2019年は、クララ・シューマンが生まれてから、ちょうど200年にあたります。
この機会に、クララ・シューマンの音楽の世界に触れてみませんか?

 

 

この秋、クララ・シューマンをこよなく愛するみなさまによって、生誕200周年記念コンサート企画中です。お楽しみに!
写真は、この企画にも登場予定の『東京ぶらぶらカルテット』のみなさまのステージの様子です。

 

『東京ぶらぶらカルテット』のみなさま

 

☆『クララ・シューマン生誕200周年記念コンサート』は、2019年9月15日に終了いたしました。
ご参加いただきましたみなさまには、心よりお礼申し上げます。

 

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