
百人一首かるたの歌人エピソード第91番・後京極摂政前太政大臣~ことばを越えて五感に響く、亡き妻への切ない想い
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
1000年の時を隔てても変わらない、少し前までずっと一緒だった相手がそこにいない寂しさ・・・
百人一首かるたの歌人エピソード、今回は、第91番・後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)をご紹介いたします。情感がことばを越えて五感に響いてくる、平安時代末期に育まれた日本文化ならではの世界観、”幽玄”を体現する一首です。
藤原摂関家のエリート、九条良経(1169~1206)
後京極摂政前太政大臣の本名は、九条良経(くじょうよしつね)と言います。九条家は、藤原摂関家の流れをくむ名門中の名門。良経は、第76番・法性寺忠通の孫で、第92番・前大僧正慈円の甥でもあります。
良経は父・九条兼実と共に歌会を盛んに開催したり、有名な歌人である藤原俊成・定家親子を後援するなどして、和歌の発展にも大きく貢献しました。
良経は早くから出世しましたが、政変に巻き込まれ、朝廷から追放されるという憂き目にもあっています。復帰後は関白にまで上りつめましたが、ある夜、自邸で急逝。わずか38歳という若さでした。政敵による暗殺説もありますが、真相は歴史の闇の中です・・・

鎌倉時代後期に描かれた九条良経(『天子摂関御影』より・出展:Wikimedia Commons)
こおろぎが鳴く霜の降る寒い夜に、粗末なむしろの上に自分の衣の袖を敷いて、私は独りさびしく寝るのだろうか
平安時代は、女性と男性が共に寝るときは、お互いの着物の袖を枕の代わりに敷いていたそうです。「衣かたしき」という表現は、寝床の片側に自分の衣の袖だけを敷いて寝る、独り寝の寂しさを意味しています。聞こえてくるのは虫の音だけ、静かでしんしんと冷え込む夜。静けさと寒さが、孤独感を際立たせています。
良経は、この歌を詠む直前に奥様に先立たれたそうです。
いつも隣にいた人がもういない寂しさや悲しさ、そして愛する人のぬくもりのない、心までこごえそうな寒さが、描かれた光景からほのかに漂っているように感じませんか?
良経は和歌だけでなく、書道や漢詩にも優れた教養人でした。書道は、後に「後京極流」と呼ばれ、また和歌は、後に「新古今和歌集」へとつながる新しい流れを生み出した人物として、大きな役割をはたしました。
☆良経の歌は、第3番・柿本人麻呂の歌の”本歌取り”と言われます。単なる模倣ではなく、本歌の持つ意味や世界観をモチーフに、新たな芸術を生み出す日本ならではの技法として、”本歌取り”は、和歌だけでなく絵画や建築などでも用いられました。
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む一見楽し気な響きの歌ですが、秋の夜長に独り寝なんて、夜が永遠に続きそう・・・という超絶寂しい想いを歌い上げています。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第3番・柿本人麻呂~独り寝の夜の寂しさを楽し気に歌い上げた謎の天才歌人 ⋆ MUSBIC/ムスビック
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