
気づけば歴史を大きく動かしていた!?~百人一首かるたの歌人エピソード第76番・法性寺入道前関白太政大臣
わたの原 漕ぎいでて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波
どこまでも続く大海原!空と海の青と、雲と波の白が輝く!
畳の上の格闘技、競技かるたで使われる小倉百人一首でも随一の雄大な歌をご紹介いたします。
百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第76番・法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)の登場です。
優れた和歌を数多く残し、書家としても有名だった方ですが、実は静かな平安の宮廷に大きな争乱を引き起こした人物なのだとか・・・!?

天子摂関御影【摂関巻】で描かれた藤原忠通(出展:Wikimedia Commons)
平安末期のトラブルメーカー、藤原忠通
法性寺入道前関白太政大臣の本名は、藤原忠通(ふじわらのただみち)といいます。平安時代末期の公家で、37年の長きにわたり摂政・関白を務め、出世街道を上り詰めた一方で、平安の宮廷で、大きな火種を作ってしまった人物でもあります。
忠通と弟・藤原頼長との藤原家のトップ争いが、やがて天皇の後継者争いへと広がり、保元の乱の引き金となっていきました。
保元の乱をきっかけに、時代は源平争乱期に突入!平安の雅な時代は終わりを告げ、700年続く武士の世を迎えることになります。その大きなきっかけのひとつが、忠通の行動だったとは!
大海原に舟で漕ぎ出し、ずっと遠くを眺めてみれば、彼方に雲と見まがうばかりに、沖の白波が立っていたよ
この歌は、第11番・小野篁の詠んだ「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣舟」へのオマージュとも言われています。小野篁の歌は愛しい人への想いが物寂しさを誘うのに対し、同じ題材でも忠通の歌は雄大ですね!
忠通は「海上の遠望」というお題で、崇徳天皇の前でこの歌を披露しました。忠通も崇徳天皇も、この時は後に保元の乱で対立することになるとは夢にも思わなかったことでしょう。
忠通は書家としても高い評価を得ていました。忠通の字体は、平安後期に大流行し、後に忠通の法名にちなんで「法性寺流」と呼ばれるようになりました。

京都国立博物館蔵、国宝「藤原忠通筆書状案」 出展:Wikimedia Commons)
☆こちらの記事では、藤原忠通が参考にした?参議篁の歌をご紹介しております。
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣舟
何やら勇壮な船出の歌のようにも聞こえますが・・・?”畳の上の格闘技”、競技かるたで使用される小倉百人一首の歌人エピソード、今回は、参議篁(さんぎたかむら)をご紹介いたします。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード〜参議篁(さんぎたかむら)のありえないダブルワーク!そして紫式部との関係とは?
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