リオのカーニバル!一生に一度は観に行きたい世界最大のお祭りの歴史的背景を探る!
世界的に有名なリオのカーニバル!
一生に一度は生で観たい!と思っていらっしゃる方も多いのではないかしら?
リオのカーニバルは、どうやって誕生して、世界最大のお祭りとなったのでしょう?
その歴史をご紹介させていただきます。
カーニバルとは?
カーニバル(カルナヴァル)とは、謝肉祭のこと。もともとは、春に豊穣・多産を祈るゲルマンのお祭りでした。
キリスト教が世界に広まるとき、多くのゲルマンのお祭りが、キリスト教の行事と結びついていきました。
キリスト教のカトリックでは、復活祭(イースター)の前に、「四旬節(しじゅんせつ)」と言われる、節制の期間があります。カーニバルは、「四旬節(しじゅんせつ)」が始まる前に行う宴として、定着していったと言われています。
厳粛な期間に入る前に行われること、悪霊や災禍を追い払う目的もあったことから、謝肉祭は、仮装パレードをしたり、水やお菓子を投げ合ったりと、楽しく盛り上がるイベントに発展していきました。
大西洋を渡ってブラジルに伝わったカーニバル
カーニバルをブラジルに持ち込んだのは、ポルトガル人です。時は18世紀、ブラジルがポルトガルの植民地だった時代にまでさかのぼります。
今もブラジル各地でカーニバルが行われていますが、そのルーツは、とても古いのですね!
「リオのカーニバル」が世界的に有名になったのは、ブラジルのカーニバルの中でも、リオデジャネイロのカーニバルが、規模が大きく、華やかに盛り上がったからです。
リオデジャネイロは、18世紀、ブラジル内陸部で産出した,金やダイヤモンドの積出港として、ブラジルの交通と富の中心となりました。
1763年、リオデジャネイロは、ポルトガル領ブラジル植民地の首府となりました。その後も、政権の交代が繰り返される中、1960年にブラジリアに首都が移転するまで、リオデジャネイロはブラジルの首都であり続けました。
リオデジャネイロは、今でもブラジル文化の中心と言われる大都市です。2016年にオリンピックが開催されたのは、記憶に新しいところですね!
リオのカーニバルで演奏される音楽は、実はサンバだけではありません。
マルシャ(ブラジル版マーチ)や、ポルカ(チェコの民族舞曲)などが演奏されます。
一般的に「リオのカーニバル」というときは、リオの中心地、セントロの一角にある、「サンボドロモ」という、全長約700メートルのパレード会場で開催される、サンバに合わせて踊る、コンテスト形式のパレードを指しています。
たくさんの「エスコーラ」と呼ばれる団体が、コンテスト優勝を目指して、1年かけて準備した結晶を披露します。
このパレードを観るため、世界中から多くの観光客が集まり、リオの街は、大変な熱気に包まれるのです。リオのカーニバルの盛り上がる様子は、毎年ニュースでも話題になりますね。
リオのカーニバルには、奥深い歴史があったのですね!
ムスビックは、これからもさまざまな習い事や文化の継承を応援していきます。
MUSBIC公式 Facebook ページ
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。