百人一首かるたの歌人エピソード第60番小式部内侍~ユーモアのセンスあふれる美少女、歌の才能とモテ女っぷりは母親譲り!
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
幼い頃から母・和泉式部とともに宮中に仕え、母に勝るとも劣らない豊かな才能のために、母親による代作疑惑をかけられた美少女、小式部内侍(こしきぶのないし)。ユーモアのセンスあふれる見事な返しの一撃をご紹介いたします。
”畳の上の格闘技”、競技かるたで使われる小倉百人一首の歌人エピソード、今回は第60番小式部内侍の登場です。
ユーモアのセンスもあった才女・小式部内侍
小式部内侍(999年?~1025年)は、平安時代の女流歌人で、橘道貞と和泉式部の娘です。母とともに一条天皇の中宮彰子に仕えました。母の「式部」と区別するため、「小式部」と呼ばれました。
小式部内侍が母親から譲り受けたものは、歌の才能だけでなく、”恋多き女”のDNAも受け継いだようで、短い生涯で多くの男性との交際が記録に残っています。
母・和泉式部に似て歌が上手な小式部内侍。宮中では、小式部内侍の歌は、母が代作しているのだろうという噂が絶えませんでした。
和泉式部が再婚した夫とともに丹後国に赴いた後のこと、小式部内侍と歌合で同席した藤原定頼が、「お母さまのいらっしゃる丹後の国に使いは出しましたか?お母さまからお返事はありましたか?」と意地悪な質問をして小式部内侍をからかいました。
そのとき小式部内侍が即興で返したのが、今回ご紹介する歌です。
大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだことはありませんし、母からの手紙も見てはいません。
「生野」と「行く」をかけ、「踏みもみず」と「文も見ず」をかけるという技巧を散りばめた歌を即興で詠んでみせて、小式部内侍は母の代作疑惑を払しょくし、自身の才能を見せつけたのです!
藤原定頼もまた優れた歌人なのですが、小式部内侍のあまりに見事な返しに、返歌もできずにそそくさと立ち去ってしまったのだとか。
でもその藤原定頼、実は小式部内侍の恋のお相手でもあったようです。うーん・・・男女の仲は、今も昔も謎だらけですね(#^^#)
☆こちらの記事では、小式部内侍の母、元祖”恋多き女”・和泉式部をご紹介しております。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
死ぬ前にもう一度だけ愛しい人に逢いたい・・・畳の上の格闘技、競技かるたで使用される小倉百人一首の中でも、特に情熱的なこの歌。みなさまも聞いたことがあるのではないでしょうか?
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第56番~恋に生きた天才女流歌人・和泉式部 ⋆ MUSBIC/ムスビック
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