百人一首かるたの歌人エピソード第35番・紀貫之~歌と物語で 名を残した、日本文学史上の超重要人物!

人はいさ 心も知らず ふる里は 花ぞ昔の 香に匂(にほ)ひける

”畳の上の格闘技”、競技かるたで使われる小倉百人一首には、天皇、皇族、公家といった身分の高い人たちが目立つ一方で、身分はさほど高くないものの、優れた歌を多く残した人たちも大勢登場します。今回ご紹介いたします、第35番・紀貫之はその代表格、いわば”真打”といったところでしょうか。
紀貫之は、官位はギリギリ貴族と呼べるレベルでしたが、「古今和歌集」の撰者であり、代表的歌人、さらに日本初の日記文学と言われる「土佐日記」を著し、日本文学に多大な功績を残しました。

 

紀貫之 百人一首

江戸時代の絵師、狩野探幽が描いた紀貫之(出展:Wikimedia Commons)

 

努力と才能は人生を大いに助ける!

紀貫之は、平安時代前期から中期に生きた方です。第33番・紀友則は従兄弟にあたります。
貫之や友則の生まれた紀氏(きうじ)は、古代日本から続いた名家でしたが、貫之が生まれた頃に起きた、応天門の変と呼ばれる事件を機に没落。その後、重要な官職は藤原氏がほぼ独占するようになり、貫之は出世の道を閉ざされてしまいました。

紀貫之は、官位こそ恵まれませんでしたが、歌人としての途は洋々と開けていきました。日本文学史上、最大級に敬われた歌人といわれ、「古今和歌集」をはじめとする勅撰和歌集に収められた歌の数は、なんと435首!まさに絶対王者ですね!
時の権力者が貫之に和歌を代作してほしいとわざわざ家を訪れたとか、貫之の詠んだ歌の力によって幸運がもたらされた、なんて伝説が多く伝わっています。

 

人の気持ちは、さあ、わからないけれど、昔からなじみのあるこの場所では、梅の花が昔と変わらない香りを漂わせています。

平安時代、屏風に描かれた絵を題材に歌を詠む”屏風歌”が流行しました。
紀貫之は、”屏風歌”の名手として大人気でした。この歌からも、心安らぐ懐かしい場所で梅の花が咲き誇る光景が伝わってきますね。
まさに”絵になる歌”として、貴族たちが先を争って紀貫之に屏風歌を求めたのでしょうね。

 

貫之の才能は散文にも!

官職に恵まれなかった紀貫之が、ようやく地方の要職、土佐守に任ぜられたとき、貫之は既に60歳を超えていました。貫之が任地から京に戻る最中に起きた出来事にフィクションを交えて綴ったのが「土佐日記」です。仮名で書かれた「土佐日記」は全編が残っている中では最古の日記文学と言われ、その後の随筆や女流文学の発達に大きな影響を与えました。

 

土佐日記 紀貫之 藤原定家

藤原定家が臨書した『土佐日記』の一部(国宝・出展:Wikimedia Commons)

 

☆こちらの記事は、紀貫之の従兄、紀友則をご紹介しております。


ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ
春の訪れを鮮やかに告げ、あっという間に散りゆく桜の花。そのつかの間の美しさ、はかなさに心奪われるのは、昔も今も変わらないようです。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード~自分の才能と情熱を大切に生きた”超絶ニート”第33番・紀友則 ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

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