山桜 行尊 百人一首

百人一首かるたの歌人エピソード第66番・前大僧正行尊~偉大な名僧、桜に癒される!

もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし

ハードな日々を過ごしているとき、ふと見かけた風景に気持ちが癒された!というご経験をお持ちの方、多いのではないでしょうか?
畳の上の格闘技、競技かるたに使われる小倉百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第66番・前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)をご紹介いたします。
厳しい修業中に偶然山桜を見かけて癒される・・・今を生きる私たちにも共感できる思いが、そこにはありました。

 

前大僧正行尊 百人一首

前大僧正行尊(出展:Wikimedia Commons)

 

厳しい修業に耐えて祈祷の力を極めた名僧

前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん、1054~1135)は、平安時代後期に生きた方です。
行尊は、三条天皇(第63番・三条院)のひ孫という高貴な身分でしたが、出家前の名前は残っていません。10歳で父を亡くし12歳で出家した行尊は、熊野や大峰の山中で厳しい修行を重ね、若くして験力(げんりき)と言われる祈祷によって奇跡を起こす、スーパーパワーを身に着けた修験者となりました。

医学が未発達だったこの時代、病は祈りの力で治すものとされていました。
行尊は、鳥羽天皇の中宮、璋子(たまこ)が入内するとき憑りついていた物の怪を調伏したとか、鳥羽天皇の皇子、君仁親王が生後間もなく呼吸停止したところを蘇生したとか、逸話が多数残っています。ついた別名が「験力無双」!

 

私がお前を愛しく思うように、お前も愛しいと思っておくれ、山桜よ。お前のほかに私を知る人などいないのだから。

小倉百人一首に選ばれたこの歌は、行尊が大峰(現在の奈良県吉野郡の大峰山)での修行中に、偶然山桜を見かけて詠んだ歌だそうです。厳しい修業の最中にとっても癒されたのだとか。
行尊は、晩年は修行をスタートした園城寺の大僧正となりました。衰退していた園城寺の復興に尽力し、その復興を見届けて亡くなりました。享年80歳と言われ、この時代としては、かなりの長寿だったようです。

行尊は、「験力無双」としてだけでなく、歌人としても、また能書家としても名を残しています。

 
☆こちらの記事は、第61番・伊勢大輔がプレッシャーに負けずに詠んだ素晴らしい歌をご紹介しております。


いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 
上司や先輩、取引先の偉い人たちが大勢いる前で、即興で歌を詠め!?それはもう、大変なプレッシャーではありませんか!
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第61番~伊勢大輔、プレッシャーの中でチャンスをつかんだ新人女官 ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

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