
百人一首かるたの歌人エピソード第31番・坂上是則~月の光と見紛うほどの白雪の美しさ!・・・からの、サッカー???
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
一瞬を争う”畳の上の格闘技”、競技かるたの激しい戦いとは対照的な、優美な小倉百人一首の世界・・・今回は雪景色の美しさを詠んだ第31番・坂上是則をご紹介いたします。なんと和歌だけでなくサッカーもお得意だった方です!
え?サッカー・・・ですか?

江戸時代初期の絵師、狩野尚信が描いた坂上是則(出展:Wikimedia Commons)
征夷大将軍、坂上田村麻呂の子孫!
坂上是則(さかのうえのこれのり)は、平安時代前期の歌人。征夷大将軍として蝦夷(今の東北地方)を征討した人物として知られる、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の子孫と言われています。生まれた年はわかっていませんが、930年に亡くなったという記録が残っています。
坂上是則は、身分は高くありませんでしたが、和歌の名人で、三十六歌仙のひとりとして讃えられています。宇多天皇や醍醐天皇が開催する行事に、度々招かれていました。
坂上是則は、和歌だけでなく蹴鞠の名手でもありました。醍醐天皇の御前で蹴鞠が行われたときに、なんと206回続けて蹴って、一度も落とさなかったので、天皇からとても褒められ、ご褒美をいただいたという記録が残っています。
まるでサッカーのリフティング大会みたいですね!

吉野山といえば桜で有名ですが、平安時代は雪の名所でした
明け方、空がほのかに明るくなってきた頃、有明の月と見間違えるほど明るく、吉野の里に白々と雪が降っている
桜で名高い吉野は、平安時代は雪の名所として有名でした。
この歌は、早朝の吉野にしんしんと降り続く雪を月の光に例え、さらに名詞で終わる「体言止め」という手法を用いて、これでもかと言わんばかりに、白雪の美しさを表現しています。

『源氏物語』にも蹴鞠は登場します(出展:Wikimedia Commons)
蹴鞠とサッカーの関係
サッカーの起源には諸説ありますが、FIFA(国際サッカー連盟)は、蹴鞠を古代ギリシャ、古代ローマや中南米の古代文明で伝わる球技とともに、サッカーの起源として紹介しています。
蹴鞠は、奈良時代初頭までに中国から日本に伝わり、平安時代には宮廷競技として盛んに行われていました。
日本の蹴鞠は、鞠を一定の高さで蹴り続け、その回数だけでなく、鞠の軌跡や姿勢の美しさを競います。競技というよりも、芸道として今も行われています。
☆こちらの記事は、日本を代表する山、富士山の雪景色を歌った謎の天才歌人・第4番山部赤人をご紹介しております。
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
日本を象徴する山として、神の住まう山”霊峰”として、古くから人々に敬愛されてきた富士山。
情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第4番・山部赤人~霊峰富士を讃えた、謎の天才歌人による謎多き歌 ⋆ MUSBIC/ムスビック
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