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生誕200年記念~クララ・シューマン特集③~妻として母として、愛する家族のために力を尽くした女神の旅路

19世紀ヨーロッパで活躍した、世界初のワーキングマザーのピアニスト、クララ・シューマン

 
世界で初めての、プロの女性ピアニストで作曲家、クララ・ヨゼフィーネ・ヴィーク・シューマン(1819.9.13~1896.5.20)。今年、クララは生誕200周年を迎えます。

かつてクララ・シューマンは、”天才作曲家ロベルト・シューマンの妻”という側面ばかり注目されていました。
しかし、父親を相手に訴訟を起こしてまで結婚にたどり着いた、最愛の夫ロベルト・シューマンは病弱・・・。クララは、妊娠・出産、子育てをしながら、夫を支え、何より家計を支えなければなりませんでした。

望むと望まざるとにかかわらず、クララは、ワーキングマザーとして生きていくことになったのです。

 

クララの夫、ロマン派を代表する作曲家ロベルト・シューマン(出展:Wikimedia Commons)

 

ヨーロッパを駆け巡ったクララ

 
プロのピアニストが家計を支えるというのは、演奏会のために、旅を繰り返すことでもあります。
クララが生きた19世紀、産業革命によって蒸気機関車が登場し、鉄道網は飛躍的に発達しましたが、まだまだ旅は快適とはいえない時代でした。

そんな時代にクララは、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、スイス、ロシアといった国々を何度も訪れ、ピアノを演奏しました。
8人の子どもを出産したクララは、妊娠中でも、休まず演奏旅行を続けました。

 
1856年7月にロベルトが亡くなった後も、クララは、残された子供たちを育てながら、演奏活動を続けました。晩年になると、クララは、ロベルト・シューマンの作品全集の編さんを行い、さらに後進の指導にも熱心に取り組みました。

クララは、持って生まれた才能と、父親から受けた素晴らしい音楽教育、さらに経験からの学び、それら全てを駆使して、愛する夫ロベルトと子どもたちを支えるための旅をつづけました。
ロベルト・シューマンは、ロマン派を代表する作曲家と言われます。クララが、ヨーロッパの各都市でロベルトの曲を紹介した功績も、とても大きかったのですね!

 

ロベルトとクララの子どもたち(出展:Wikimedia Commons)

 

残念なことに、クララは、37歳の頃に作曲をやめてしまいました。
女性の活躍が、今とは比較にならないほど制限されていた19世紀、作曲は男性の職業とされ、女性というだけで、作品を正当に評価してもらえませんでした。クララは、自分自身には作曲の才能はない、と考えていたようです。

 
今、クララの作曲家としての才能も、あらためて注目されています。
1855年に発表された「ピアノのための3つのロマンス Op.21」をご紹介させていただきます。
繊細で美しい旋律、是非お楽しみくださいね!

 

 

クララ・シューマン生誕200周年を迎えた今年、クララ・シューマンをこよなく愛するみなさまによって、クララ生誕200周年記念コンサートが行われます!

入場無料。予約制・先着120名様。
クララ・シューマンの音楽に触れてみたい方、是非お出かけくださいね。
詳しくは、こちらから。

 
☆『クララ・シューマン生誕200周年記念コンサート』は、2019年9月15日に終了いたしました。
ご参加いただきましたみなさまには、心よりお礼申し上げます。

 

当日は「ピアノのための3つのロマンス Op.21」も演奏されます。

 

クララ・シューマンのピアノにフォーカスいたしました、こちらの記事もご覧くださいね。

生誕200周年を機に、19世紀に活躍した女性として、あらためて注目を集めているクララ・シューマン 天才作曲家ロベルト・シューマンの妻で、8人の子どもたちの母、偉大なピアニストであり作曲家という、さまざまな”顔”を持つクララ。 中でも、19世紀を代表する女性ピアニストといわれるほど、クララ・シューマンのピアノは、高く評価されています。

情報源: 生誕200年記念~クララ・シューマン特集②~ピアノを愛し、ピアノに愛された女性クララ | MUSBIC/ムスビック

 

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