冬の庭 百人一首

百人一首かるたの歌人エピソード第29番・凡河内躬恒~古代の豪族の末裔が残した美しい冬景色

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

初霜や初雪で白一色になった風景は、まるで日頃の喧騒が全て覆い隠されたような美しさ!という感覚は、百人一首の時代も今も変わらないようです。
”畳の上の格闘技”、競技かるたで使われる小倉百人一首から、冬のはじめの美しい光景を詠んだ歌をご紹介いたします。第29番・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)です。

 

「凡河内躬恒を侮るべからず!」

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)は、平安時代初期の方。生没年はわかっていません。
凡河内氏とは、今の大阪府を中心とする広い地域に勢力を持っていた古代の豪族で、躬恒はその末裔なのだとか。躬恒は、甲斐、丹波、和泉など、地方の役人を歴任した下級士官でしたが、歌の才能に恵まれ、かの有名な紀貫之と並ぶ代表的歌人として、宮中で活躍しました。三十六歌仙のひとりで古今集の撰者でもあります。

躬恒の時代から200年ほど後のこと、貴族で歌人の第74番・源俊頼が、紀貫之と凡河内躬恒のどちらが優れた歌人であるかを問われたとき、俊頼は思わず「凡河内躬恒侮るべからず!」と答えたと伝わっています。

 

凡河内躬恒 三十六歌仙  百人一首

江戸時代の絵師、狩野探幽の描いた凡河内躬恒(出展:Wikimedia Commons)

 

「心あてに」の解釈は?

小倉百人一首に選ばれた凡河内躬恒の歌は、「心あてに」をどう解釈するかで、歌のニュアンスが微妙に変わってきます。

「心あてに」を「当て推量で」とか「あてずっぽうに」と解釈すると、白菊が初霜に紛れるほどの美しく白い世界観が強調されます。

もしも手折るというのならば、あてずっぽうに折ってみようか。真っ白な初霜が下りて見分けがつかなくなっているのだから。白菊の花と。

 
「心あてに」を「心して」と解釈すると、これほど美しい白菊をそう簡単に手折ることなどできようか、という意味になります。

心して折るなら折れるものだろうか。真っ白な初霜が降りて、霜と見分けがつかなくなっている白菊の花を。

 

白菊

白菊は凡河内躬恒の生きた平安時代初期には希少な花でした

 

菊は、奈良時代後期から平安時代初期に日本に持ち込まれたと言われ、凡河内躬恒が生きた頃はとても希少な花でした。白菊は、躬恒が仕えた醍醐天皇を例えているとも考えられ、醍醐天皇の御世は、そう簡単には覆せないと讃えているようにも読み取れます。

1000年以上前に詠まれた歌なので、残念ながら、作者の真意はわかりません。いずれにしても、冬の朝の美しい光景が伝わってきますね!

 
☆こちらの記事は、謎の天才歌人、第4番・山部赤人が、冬の富士山を讃えた歌をご紹介しております。


田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 日本を象徴する山として、神の住まう山”霊峰”として、古くから人々に敬愛されてきた富士山。日本の最高点(標高3776m)から駿河湾にまで及ぶ雄大な山姿は、多くの歌人たちによって讃えられてきました。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第4番山部赤人~霊峰富士を讃えた、謎の天才歌人による謎多き歌 ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

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