百人一首かるたの歌人エピソード第17番~イケメン在原業平が昔の恋人に捧げた、神々しいまでに美しい風景の歌にこめた思いとは?
ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
”畳の上の格闘技”、競技かるたブームをもたらした『ちはやふる』のタイトルとなった歌。
主人公の綾瀬千早が、百人一首の中で最も好きな歌が、この歌です。初めてかるたをしたときに、 綿谷新に「千早の札だよ」と言われた想い出の歌です。
百人一首の歌人エピソード、今回は第17番、千早が一番好きな歌、平安時代のイケメンの代名詞、在原業平が詠んだ歌をご紹介いたします。
そこには、昔の恋人に捧げた、切なくも美しい想い出が描かれています。
在原業平ってどんな人?
作者の在原業平(825-880)は、父方の祖父が平城天皇、母方の祖父が桓武天皇という、とても高貴な身分の出身ですが、政変に巻き込まれて臣下の身分となった方です。
数々の素晴らしい和歌を残し、平安時代を代表する歌人として、六歌仙、三十六歌仙に選ばれています。
在原業平は、平安初期に成立した歌物語『伊勢物語』の主人公のモデルと言われ、平安時代随一の美男子で、多くの女性とのロマンスが伝えられています。
特に、陽成天皇の母君、藤原高子とのロマンスは有名で、陽成天皇は、在原業平の子供ではないかという噂まであったほど。
歌に込められた想いとは
この歌は、清和天皇の女御、二条妃(にじょうのきさき)の館にある屏風の風景を歌にした、”屏風歌”だという記録が残っています。
女御とは、天皇の側室で、中宮に次ぐ高い身分の方のことで、二条妃とは、藤原高子(ふじわらのたかいこ)のことです。
藤原高子は、清和天皇の女御となり、陽成天皇の母となりましたが、宮廷にあがる前に、在原業平と密かに愛し合っていた時期があり、駆け落ちをしようとしたこともあったのだそうです。
この歌が詠まれた時期よりも、何年も前のことです。
ある日、在原業平は二条妃の屋敷に招かれました。
何年振りかで再会した恋人たち・・・
でも、気楽に昔話をできるような立場ではありません。
二条妃は、かつての、人には言えない二人の想い出を歌に残してほしいと、在原業平に頼みました。
はるか遠い昔、神々の時代でさえ、こんなことはなかっただろう。龍田川の流れが、舞い落ちた紅葉をのせて、鮮やかな紅色に染まっているではないか!
在原業平は、屏風に描かれた美しい風景を歌にしながら、過ぎ去った二人の関係が、世界が不思議なことで満ちていた、神代の昔にも見ることはできなかったであろうほど、鮮やかで美しい想い出だと伝えたのですね。
歌に散りばめられた高度な技巧
この歌、秘めた恋の想い出や、その色鮮やかな光景から、とても人気なのですが、美しいだけの歌ではありません。
龍田川を人とみなす擬人法、川面に紅葉が流れる様子を「韓紅(からくれない)色に絞り染めにした」と表現する見立て、さらには「ちはやぶる 神代もきかず」を先に持ってきた倒置法など、高度なテクニックが散りばめられています。
イケメンというだけでなく、平安時代を代表する歌人として、在原業平の面目躍如というところですね!
☆歌の出だしは「ちはやぶる」「ちはやふる」どちらが正しいのか、現状では、はっきりとした答えはないようです。
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情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード~”アブナイ天皇”のピュアなラブレター、陽成院のお話
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