秋の夕暮れ 良暹法師 小倉百人一首

小倉百人一首の歌人エピソード第70番・良暹法師~流行の先取りをした高僧

寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮

「秋は夕暮れ」と日本で最初に言ったのは清少納言。では「秋は寂しい」という描写は誰が最初?
畳の上の格闘技、競技かるたで使われる小倉百人一首の中に、その答えがあるかもしれません。今回は、第70番・良暹法師(りょうせんほうし)をご紹介いたします。

 

高僧にして優れた歌人・良暹法師

良暹法師は、平安時代中期の方です。生没年や俗名などはわかっていません。良暹法師は比叡山で修業をした後、祇園別当(現在の八坂神社の最高責任者)を務めました。歌人としても高名で、貴族による歌会にも登場していたようです。晩年は都会の喧騒を離れ、大原で静かな隠居暮らしをしました。

 

良暹法師 百人一首

良暹法師(出展:Wikimedia Commons)

 

寂しさに耐え兼ね、思わず庵を出て周りを見渡してみたが、どこを眺めても同じように、寂しげな秋の夕暮れの景色が広がっているばかりだ

秋といえば夕暮れ、と日本で最初に言ったのは清少納言と言われています。かの有名な「枕草子」の冒頭の一節ですね。ただし、枕草子では、秋の夕暮れを「をかし」、つまり趣のある光景だと描いていて、寂しいとは言っていません。
それでは、秋といえば寂しさ、という感覚は誰が最初かしら?

秋と寂しさを結び付ける感覚は、日本文学では古くから描かれていて、最初の人を特定することはできません。でも良暹法師は、間違いなく最初のひとりの候補者になりそうです!
良暹法師が生きた時代から200年ほど後のこと、小倉百人一首の撰者、第97番・藤原定家の父、第83番・藤原俊成が確立したとされる”幽玄”、その世界観にぴったりとはまったのが、秋の夕暮れが醸し出す物寂しさでした。

この時代、「秋の夕暮れ」を結びの句として使用する歌が流行しました。幽玄の世界観を表すのにふさわしい表現だと、考えられていたようです。良暹法師は、なんと200年も流行を先取りしたことになります。すごい!!

 
☆こちらの記事は、”幽玄”を確立したとされる第83番・皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)をご紹介しております。


世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる
”末法”の到来と言われた平安末期、貴族たちは現世に希望を見いだせなくなった一方で、内面的な美しさ”幽玄”を探求していきました。百人一首かるたの歌人エピソード、今回ご紹介いたします第83番・皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)は、そんな時代を代表する歌人です。 

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第83番・皇太后宮大夫俊成~つらい時代だからこそ見えてくる美しい世界”幽玄” ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

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