百人一首かるたの歌人エピソード第12番~イケメン僧侶、僧正遍昭が描いた美しい天女の舞と、秘密の恋の物語

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ

ああ、何ということだ!こんなに美しい舞姫をこれまでに見たことがあるだろうか!?
まるで天女が地上に舞い降りたようだ・・・
この私がこんなに見惚れてしまうなんて!

飛鳥時代より今に伝えられる、宮中行事のひとつに「新嘗祭(にいなめさい)」というお祭りがあります。収穫祭にあたるもので、天皇ご自身も参加なさってその年の収穫に感謝をささげる、大きなお祭りです。その中で、未婚の美しい娘たちが舞を奉納する「五節(ごせち)の舞」が行われます。

 

五節の舞のあでやかな装束(出展:Wikimedia Commons)

 
そこにいる誰もが魅了されたことでしょう。
そんな、目を見張るような光景を描いたのが、今回ご紹介する歌です。

天空の風よ、天上と地上を結ぶ道を閉ざしておくれ
美しい天女の舞を、今しばらく見ていたいから・・・

作者は僧正遍昭(へんじょう)という方です。
え?お坊様なの?おいおい、ご立派な僧侶が、美女の舞をこんなに喜んでいいの!?
と勘違いしてはいけません。実はこの歌は、出家前に詠まれた歌なんです。

百人一首かるたの歌人エピソード、今回は第12番、僧正遍昭をご紹介させていただきます。

 
僧正遍昭(へんじょう)のこと

僧正遍昭(へんじょう 816~890)、多くの歌を残した優れた歌人で、六歌仙、三十六歌仙のひとりです。
桓武天皇の孫にあたる高貴な方で、出家前は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)というお名前でした。出家後は「僧正」という、僧侶として非常に高い官職にまで上りつめた方でもあります。

僧正遍昭は、美男子として有名なんです!
高貴なお生まれで美男子!なのに35歳という若さで出家なさった僧正遍昭は、物語の主人公にピッタリだったようで、数多くの女性との恋愛話が残されています。真偽の程は謎ですが…

中でも有名なのが、世界三大美女のひとりと言われる、小野小町との恋のお話。
僧正遍昭は、小野小町にまつわる「百夜通いの伝説」に登場する男性、深草少将のモデルと言われています。

 

狩野探幽『三十六歌仙額』に描かれた僧正遍昭(出展:Wikimedia Commons)

 

「百夜通いの伝説」

絶世の美女として名高い小野小町。彼女に恋する男性は数多くいました。うっとうしく思っていた小野小町は、彼女に求愛した深草少将に
「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになりましょう」
と告げます。

毎晩通い続けた深草少将。しだいに心を開いていく小野小町。

今夜で百夜になるという日、今宵こそ・・・と待っていた小野小町のもとに、深草少将は現れませんでした。届いたのは悲しい知らせだけ。
深草少将は嵐に遭い、亡くなってしまったのです。

何とも切ないお話ですが、あれあれ?
亡くなっていたら、出家なんてできないじゃない?

そう、これは後から作られたお話なんです。
室町時代以降、能楽が発展した時代に作られ、一般大衆にまで広く知れ渡ることになりました。

 

狩野探幽『三十六歌仙額』に描かれた小野小町(出展:Wikimedia Commons)

 

真相はどうだったの?

残念ながら、小野小町の詳細はわかっていません。生没年も、どのような生涯を送られた方なのかも、本名すら残っていないのです。
ただ、”小町”という名前から、後宮に仕える女性、つまり天皇の側室のひとりだったのではないかと考えられています。
であれば、出家前であっても、僧正遍昭とは、しょせん結ばれない間柄。

百夜通いは、深草少将が亡くなったことにして、達成できなかったことにしたのかもしれませんね。

そんなお二人の後日談が残っています。また別の機会にご紹介いたしますので、お楽しみになさってくださいね!

 
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