ならの小川 上賀茂神社

百人一首かるたの歌人エピソード第98番~従二位家隆、残暑の厳しい日に一服の清涼剤はいかが?

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

夏の終わり、昼間はうだるような暑さでも、夕方の風が涼しくなってくると、少しずつ秋の気配を感じます。
畳の上の格闘技、競技かるたに使用される小倉百人一首の歌人エピソード、今回は第98番、従二位家隆をご紹介いたします。戦乱の世に、一服の清涼剤のような爽やかな歌を残した方です。

 

藤原家隆 百人一首 競技かるた

明治時代の絵師・菊池容斎が描いた藤原家隆(出展:Wikimedia Commons)

 

藤原家隆は癒し系キャラ?

従二位家隆とは、藤原家隆(1158-1237)のこと。平安末期から鎌倉時代初期を代表する歌人のひとりです。
文武両道にたけた後鳥羽上皇の歌壇で、藤原家隆は、小倉百人一首の選者・藤原定家とともに重用されました。頑固一徹の定家は後鳥羽上皇とそりが合わず、穏やかな人柄の家隆が二人の間をとり持っていたのだとか。

後鳥羽上皇といえば、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもラスボス(!?)の誉れ高い方。源実朝が暗殺された後、武家から政権を奪還するべく挙兵し、「承久の乱」を起こします。このとき鎌倉方は、尼将軍・北条政子の号令の下に一致団結。後鳥羽上皇は大敗し、隠岐の島に流罪となりました。
「承久の乱」の後、藤原定家は鎌倉幕府の覚えめでたく立身出世。一方、藤原家隆は変わらず後鳥羽上皇と歌のやり取りを続け、隠岐の島で暮らす後鳥羽上皇の心の支えとなりました。

 

上賀茂神社 ならの小川 藤原家隆

京都・上賀茂神社の境内を流れる御手洗川(ならの小川)

 

風がそよそよと吹いている、ならの小川の夕暮れは、もう秋の涼しさですが、禊が行われているので、まだ夏であることがわかります

※ならの小川とは、京都の上賀茂神社の境内を流れる御手洗川のことで、神社の杜に生えているナラの木との掛詞になっています。
※禊(みそぎ)とは、旧暦6月30日に行われる夏越の祓(なごしのはらえ)のことです。

 
藤原定家が、小倉百人一首のために選んだ家隆の歌は、血なまぐさい時代を感じさせない、涼しい秋風が吹き抜けるような、爽やかな歌でした。定家が、政治的な立場の違いを超越して、家隆の才能を高く評価していたことが伝わってきます。
さらに、定家97番、家隆98番、後鳥羽上皇99番という並び順は、自分と後鳥羽上皇の中をとり持ってくれた、家隆に対する敬意の表れとも言われています。

 

上賀茂神社 ならの小川 藤原家隆

京都・加茂賀茂神社にある藤原家隆の歌碑

 

☆こちらの記事は、小倉百人一首の数少ない夏の歌のひとつ、清原深養父の歌をご紹介しております。


夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
和歌の世界に夏は不利!? ”畳の上の格闘技”、競技かるたに使用される小倉百人一首に、夏の歌はわずか4首しかありません。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第36番~清原深養父~短い夏の夜に月を探して ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

 

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