日本人が愛してやまない桜の花とお花見の文化を紐解いてみる!
どうして日本人はこんなに桜が好きなの?
お花見って、いつ頃から定着してきたの?
”春眠暁を覚えず”なんて言いますが、こんなことが気になりだしたら、夜も眠れなくなりそう・・・!?
花を眺めながら散策したり、宴を催したり・・・
春の風物詩と言えばお花見!お花見と言えば桜!
「万葉集」にも登場するほど、古くから日本人に好まれてきた、日本を代表する花のひとつ、桜。
桜は、なんと1000年以上も前から、私たち日本人に愛されてきました。
桜のことやお花見の歴史など、少しご紹介させていただきますね。
日本人が桜を好きな訳とは
ぱあっと咲いて、さっと散ってしまう桜の花。華やかさと、はかなさと、そして潔さを感じませんか?
桜が与えるこの印象が、私たち日本人の死生観、あるいは美意識にぴったり合うのでしょうね。いつの時代にも、桜は日本人に愛される花として、日本人の心に定着してきました。
太古の昔には、桜は女神様の化身とも考えられていたそうです。
花見の歴史
花見の最も古い記録は、今から約1200年も前、812年に嵯峨天皇が開催した「花宴の節(せち)」と言われています。
「源氏物語」や「徒然草」にも、花宴の記載があります。
大規模な花見の宴として歴史的に名高いのは、1598年に豊臣秀吉が行った醍醐の花見です。近親の者たちや諸大名ら、約1300人を集めて開催した、盛大な催しとして知られています。
花見の習慣が庶民に広まったのは、江戸時代のこと。
8代将軍徳川吉宗は、浅草や飛鳥山に桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励しました。
吉宗は、5代将軍綱吉の時代に「生類憐みの令」で禁止された鷹狩を復活させました。そのとき、農民たちの収益が上がるようにと、鷹狩の場所に桜を植えさせ、花見客が訪れるように取り計らったのだとか。
花見にお弁当やお酒がつきものとなったのは、この頃からなんですって!
ソメイヨシノの誕生
江戸末期から明治初期のころ、江戸の染井村(今の豊島区駒込あたり)の植木職人たちによって生まれた桜の改良品種が、後に「ソメイヨシノ」と呼ばれ、日本全国に広まることになりました。
ソメイヨシノのつぼみは濃紅色をしていて、咲き始めるとだんだん色が薄くなっていき、満開のころには白に近くなります。
満開の時には、花だけが木を覆うので、とっても華やかになります。
全国のソメイヨシノは、元をたどると数本の原木につながることがわかっていて、なんとクローンなのだそうです!
桜の開花予想や桜前線には、ソメイヨシノが使われています。それは、ソメイヨシノが全国に広まっていること、そして開花する条件などに地域差がないという、クローンならではの理由があったのです!
日本全国に桜の名所があり、毎年桜まつりが開催されます。
桜が咲くことで春の訪れを感じ、日本に住むことの素晴らしさを感じるきっかけになる・・・
こんな素敵な伝統を、しっかりと未来の人たちに伝えていきたいですね!
そのためにも、私たちは、花見のマナーやルールを守り、普段から、環境に配慮した生活を送ることを心がけたいものです。
きれいな花や植物を通して、自然や文化を大切にする心を、伝え残していきたいですね。
ムスビックは美しい自然や文化の伝承を応援します!
✩桜は女神様の化身と考えられてきました。詳しくはこちらの記事をご覧くださいね。
厳しい冬を耐えて花開く桜は、とても華やかに春の到来を告げてくれます。満開になった後、桜は美しいまま散っていきます。 ただ美しいだけでなく、神々しさまで感じさせる、桜の花・・・それには、理由がありました。 桜は、女神様の化身だったのです。
情報源: 華やかに咲いて美しく散る、気高い桜は女神コノハナサクヤヒメの化身
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