百人一首かるたの歌人エピソード第6番・中納言家持~万葉集最大の歌人が描いた美しい冬の夜

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

冬の夜、肌を突き刺すような寒さの中で、白く輝く光景に息をのむ・・・!そんな情景を歌い上げたのは、第6番・中納言家持。奈良時代を代表する歌人です。
”畳の上の格闘技”とも言われる競技かるたで使用される小倉百人一首、そこに登場する、平安時代よりも古い歌はわずか5首。そのひとり中納言家持をご紹介いたします。

 
奈良時代の文化的リーダー、中納言家持(718~785)

中納言家持の本名は、大伴家持(おおとものやかもち)と言います。大伴家は、大和朝廷以来の武門の名家で、古代日本の軍事・警護の中心的な存在でした。
家持は、日本最古の歌集「万葉集」を代表する歌人で、万葉集の編纂に関わった人物と言われています。万葉集に収められている歌は4,500首を越えますが、万葉集が単なる歌の寄せ集めではなく、巨大な文学作品と目されるようになったのは、家持の貢献が高いのだとか。

 

大伴家持 百人一首 中納言家持

江戸時代の絵師、狩野探幽が描いた大伴家持(出展:Wikimedia Commons)

 

かささぎが翼を連ねてかけたと言われる橋が、まるで霜が降りたように白々と冴えわたる様子を見ると、夜はすっかり更けてしまったようですね。

 
「かささぎの渡せる橋」とは、七夕に織姫と彦星が逢えるようにと、かささぎが翼を連ねて天の川に橋をかけたという古代中国の伝説に由来しています。
冬の夜空、特に天の川の美しさを、白々と輝く霜に見立てて表現しているのですね。

一方、「かささぎの渡せる橋」とは、平城京の御殿に渡る階段とする解釈もあります。
古代の宮中は「雲居(くもい)」と言われていました。手の届かない高い場所、という意味です。「橋」と「階(きざはし)」をかけ、雲居に上る階段を、天の川に見立てて詠んだ、というわけです。その橋が霜で白く輝いている!これもまた美しい光景ですね。

いずれも、冬の寒さを「白く輝く美しいもの」として描いていることが伝わってきます。
あなたはどちらの説がお好みですか?

 

平城京

2010年に復原された平城京の第一次大極殿院(奈良県・平城京跡歴史公園)

 
大伴家持の生涯は、出世と左遷を繰り返し、波乱万丈だったことが記録に残っています。なんと死後にまで名誉をはく奪されて復権しているんですって!

 
☆こちらの記事は、奈良時代初期の”謎の天才歌人”、山部赤人をご紹介しております。


田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
日本を象徴する山として、神の住まう山”霊峰”として、古くから人々に敬愛されてきた富士山。日本の最高点(標高3776m)から駿河湾にまで及ぶ雄大な山姿は、多くの歌人たちによって讃えられてきました。

情報源: 百人一首かるたの歌人エピソード第4番山部赤人~霊峰富士を讃えた、謎の天才歌人による謎多き歌 ⋆ MUSBIC/ムスビック

 

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